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号外!

2011年2月 7日 (月)

【号外】ゲイリー・ムーア逝く!<追補版>

先日のCaptain Beefheart逝去に次いでまったく予期しない大悲報が届いてしまった。

ゲイリー・ムーア、6日休暇中にスペインで客死。

去年の日本公演ではあんなに元気に「また来るゼ!」って言っていたのに…。ロンドンのHigh Voltageではギンギンにハードロックをキメていたのに…。

Gary Mooreを知ったのはColosseum IIで活躍していた頃。まだ私はハード・ロックに夢中で「クロスオーバー」には無関心だった。でも、Colosseum IIを聴いてブッ飛んだ。「一体このギター、誰?」と。それで知ったのが「ギャリー・ムーア」という名前だった。

フュージョンという言葉が定着し出して、その魅力わかってきた頃にはゲイリーはハードロックの世界にいた。そして、ブルース。

思えばスレ違いばかりだった。それでもいつも気になっていたギタリストだった。

去年の来日が21年ぶりというのだからその前は1989年か…。なかなか来日してくれない理由はどうも「日本がキライ」なのでは?という噂もあった。だからいつか「マーシャル祭り」で招聘しよう!というのが私の密かな夢だったのだ。1974Xの広告にもでてくれていたし…。

昨年の来日時には彼が持ってきた1959SLPが壊れてしまい、ウチで修理すべくタクシーでJCBホールへ引き取りに行った。その際、ギターテクのグラハムと仲良くなり、ゲイリーの使用していたピックをもらった。あれが形見になってしまったナァ。

そしてその数ヵ月後、High Votageにゲイリーが出演したため、またグラハムといっしょになった。彼は1959を修理したことについて再度丁重にお礼をしてくれた。ゲイリー本人の言葉でないにしろ、「日本ギライ」なんて噂はウソだと思えた。

今にして思うと今年日本で見れるハズだったハードロックのセットをロンドンで見れて幸せだった。日本で見たブルースのセット同様、彼の1959とレスポールのセットがフェス中最大の爆音だったと信じている。そして、今でも人生最大の爆音はゲイリーの1959だと確信している。

あの爆音に乗せた超絶フレーズがもう聴けないなんて…。

ハード・ロックからメタルを極め、フュージョンも演った、ブルースも突き詰めた…もうやることがなくなったとでもいうのだろうか?

私はゲイリーの仕事はこれからだったと思っている。ギターの本当のカッコよさを次の世代につなぐ重要な仕事だ。「伝説」を聞くより「実物」を見たいよね。

「Black Rose」のアイリッシュ・パートを聴いたらやっぱり涙が出てきた。天国でPhilと何を演奏するのだろうか…?

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

<Marshall Blog過去のGary Moore関連の記事はコチラ>

Gary Mooreのマーシャル

【HIGH VOLTAGE FESTIVAL vol.2】その2日間、私は世界でもっとも幸せな日本人のひとりだった!

(三宅さん、ご連絡どうもありがとうございました)

<追補>

この記事を書き上げた後、ゲイリーのギターテクのグラハム・リレイに弔辞をメールしたところ、すぐにお礼の返信が来ました。シンプルなサンキュー・メールでしたが、かえってそのシンプルさに偉大なギタリストを失った悲しみとショックを増大させられたような気がします。

また、彼の訃報に接し大勢のギタリストからご連絡を頂戴しました。彼が日本のギタリストたちに与えたとてつもない影響の大きさを計り知る思いです。

さらに、マーシャルブログへのアクセス数も現在うなぎのぼりに上昇し続けています。これはプロ・ギタリストの皆さんへの影響だけでなく、アマチュア・ギタリストやリスナーの皆さんへゲイリーがもたらした影響も莫大なもので、改めて日本人のゲイリーへの愛情を認めざるを得ません。

また悲しくなってきました…。

2010年10月31日 (日)

【号外!】ポール・ギルバートのJMD:1デモ動画スタートしてます!

ポール・ギルバートといえばVintageModernフレディ・ネルソンとの自分のバンドの時にも、Mr.BIGの時にもポールを支えたのはVintageModernだった。もうポールとVintageModernは切っても切れない関係だ。

Img_0261

そして、7月上旬、最新ソロ・インスト・アルバム『FUZZ UNIVERSE』を引っ提げてプロモーション来日してくれた。その時の高田馬場秋葉原銀座での公演の模様はすでにマーシャル・ブログでレポート済みだ。

その時に使用したマーシャルはVintageModernではなくJMD:1。VintageModernを使用した時と同様に素晴らしいサウンドだった。

Img_0149

ポールもJMD:1を大変気に入ってくれたようすで、快くデモ動画に登場してくれた。

その動画がアップされたので是非チェックしてください!

ポール・ギルバートのデモ動画はコチラ⇒Paul Gilbert Meets JMD:1

2010年10月11日 (月)

【号外!】ソロモン・バーク氏逝く

"King of Rock & Soul", Solomon Burke passed away

2010年10月11日、つまり今朝読売新聞を見て驚いた…「エドはるみ再婚」…ではなくてその下の小さな訃報。

「キング・オブ・ロック・アンド・ソウル」のソロモン・バークが急逝した。ロサンゼルスからアムステルダムに向かう飛行機の中で亡くなったそうだ。70歳。

ソロモン・バークといえば、ミック・ジャガーやヴァン・モリソンに多大な影響を与えた人。ローリング・ストーンズは何曲かカバーを吹き込んでいる。

ソウル・ミュージックと来るとマーシャルとの関係もほとんどないと言っても差支えないだろう。しかし、この人の訃報がマーシャル・ブログに掲載されるのにはワケがあって、今年の6月26日に『ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル2010~SHEENA& THE ROKKETS登場!』と題して簡単ではあるが、ソロモンのライブに触れているのだ。つまり、本物を見たのだ。

私はソウル・ミュージックをほとんどと言っていいほど聴くことがない。スティービー・ワンダー、アース・ウインド&ファイア、スライ&ザ・ファミリー・ストーンくらいかな?何しろマーシャル派ですから。そんな私がソロモンを見たのは鮎川誠さんの言葉によるものだったことは6月26日のレポートに記した通り。ちょっと恐ろしいのは、実は昨日「京浜ロック・フェスティバル」というイベントでSHEENA & THE ROKKETSの皆さんとご一緒してたのだ!何たる符合!1日ズレていたらバックステージはもうこの話題ばっかりだったはずだ。鮎川さんも今頃さぞかしガッカリされていることだろう…。

今日のこの【号外!】を書くにあたり、あの時のソロモン・バークの印象をどう形容しようかと考えていて、浮かんだ表現が「音楽の塊」。もうこれしかない!と思って6月のレポートを読み返してみたら同じ形容をしていた。語彙の乏しさももちろんあろうが、他に形容のしようがないではないか!

またひとつホンモノの「音楽」が減ってしまった…。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2010年9月12日 (日)

【号外!】谷啓さん逝く

Kei Tani, a great musician passed away again.

ショックだ…。

谷啓さんが突然亡くなられた。

マーシャル・ブログに谷啓さんとはいかにも脈絡がない。筆者が知っている限りにおいては何も関係ない。

しかし、筆者個人には大いにあるのだ!たまには思いっきりプライベートな話題もいいでしょう?

というのも、筆者は大学時代に谷さんのバックを務めたことがあるのだ。もっと正確に言えば、筆者が所属していた大学のジャズのビッグバンドのリサイタルに谷さんにゲスト出演していただいたというワケだ。

谷さんは我が母校のOBというわけではないが、本職のジャズを演奏できるとあって快諾していただいたようだ。

約30分程度の演奏だったが、古いスタンダード・ジャズのレパートリーを中心にしたステージは飛び切り楽しかった。アレンジもしていただいて譜面も書いていただいた。ギャラについてもかなり特別な温情をかけていただいたように聞いている。そのせいか、さすがに「生ガチョーン」はなし。

特に思い出に残っているのは、ロックンロールの曲でソロを弾いたことと、谷さんアレンジの『瀬戸の花嫁』。主旋律をギターで奏でたこと。(筆者はギターで参加していました…って他の楽器は何もできません) これはビッグバンドでは絶対にあり得ないことで、苦手な譜面を渡され恐るおそるメロディを奏でた。間違いなく正確に弾いているのに何かヘン。バンドの仲間も「間違えてる!」と言う。でも何回やって譜面を確認してもヘン。というのも谷さんはこの曲をマイナーにアレンジしていのだった!

当然、谷さんはおしゃべりや歌の他に本業のトロンボーンを盛大に吹いてくれた。この音色が途轍もなく美しく、なめらかで、そして温かかった。

谷さんはコーヒーがとてもお好きらしく、リハーサルの間、スタッフの方がいつもコーヒーの入ったポットを手にしていて、谷さんが合図をすると、サッとカップにコーヒーを注いで渡していた。驚いたのはリハーサルを実に真剣にされること。お忙しい方なので、本番前に一度しか学校でリハーサルができなかった。そのせいかも知れないが、谷さんは演奏だけでなくMCも本番さながらにさらっていかれる。そして、本番ではそのリハーサルと一言一句違わないMCを展開されていた。「これがプロの仕事なのか…」と至極感心したものだった。

60年代はビートルズ、50年代はエルビス、その前の時代のアイドルはフランク・シナトラやビング・クロスビーなどのジャズ歌手たちだった。テレビがまだなく、映画の影響が大きかったころ、ジャズがもっともポピュラーな音楽であった時代があったのだ。

クレイジーキャッツはそんな時代背景にあって大人気を博した。彼らは完全なコミック・バンドかコメディアン集団と思われている節が強かったようだが、それだけでは決してなかった。

1954年(昭和29年)、横浜伊勢佐木町の「モカンボ」というジャズ・クラブで、天才と呼ばれた守安祥太郎というピアニストを中心にしたジャム・セッションが催された。いわゆる『モカンボ・セッション』。穐吉敏子、渡辺貞夫、中村八大等も参加していた日本のジャズ史に残る有名な出来事だ。そして、このイベントを仕切っていたのがハナ肇、入口で切符のモギリをやっていたのが植木等だった。つまりふたりは日本のジャズの黎明期にシーンの中心にいたことになる。

安田伸は芸大出身だし、谷さんはシャープス&フラッツに在籍していた。

こうした才気あふれる一流のミュージシャンたちが一同に会したバンド(コンボ)なのだから、演奏をしてもコントをしても一流のものが出来上がったのだ。

ちょっと話はそれるが、急に思い出した…。大分前にアルト・サックス奏者のクレイグ・ベイリーという人と話したことがあって、クレイグはしきりに言っていた「昔のアース・ウインド&ファイアは本当にスゴかったんだよ。メンバーがみんなジャズ・ミュージシャンだったからね。演奏が完璧だったんだ!」…と。

もちろん、ジャズが一番偉いなんてことを言うつもりは毛頭ありません。誰でも気軽に楽しめるのが音楽のいいところなのもわかっているつもり。でも、音楽を奏でるつもりならある程度の、イヤ、ある程度以上の器楽演奏技術を身につけるべきだとあらためて思う。クレイジーはといえば、優秀な演奏家が真剣にコミック・バンドをやっているからスゴイんだ。

偉いのはジャズ・ミュージシャンではなくて昔の人か…。

あのリサイタルのビデオは今でも宝物として大事に保管してある。コーヒーをとてもおいしそうにお飲みになられていた谷さんのお姿が、若き日の楽しい思い出として私の脳裏に焼き付いている。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

P.S.  本稿掲載後、いくつかのテレビの報道番組で谷さんご逝去の報に触れたが、「トロンボ二スト」としてのご紹介が少ないというか、ほとんど皆無に等しいことに心底驚いた。そして、とても悔しかった…。谷さん、天国で思いっきりグレン・ミラーを楽しんでください!

(一部敬称略)

2010年8月24日 (火)

【号外!】宮澤佑門クン、マーシャル・ウェブサイトに登場!

【EXTRA!】Yuto Miyazawa appears in Marshall Web Site!!

マーシャル・ブログでも過去何回か登場していただいているギタリスト、宮澤佑門クンがマーシャル本家のウェブサイトにお目見え!

記事の内容は8月14日から開始したOZZFESTの全米ツアーに佑門クンが参加していることに触れ、詳しくその天才ぶりを紹介している。

こうしてギターの腕や音楽性を買われて若い人たち(若すぎ!)が世界に飛び出していくのは本当によろこばしい!

london2010

アンプは当然1959RRだろうナァ~。

マーシャルのウェブサイトはコチラ⇒Marshall Amps

Home右側のLatest Newsをご覧下さい。

尚、OZZFESTの公演日程は…

 日付     都市名,州              会場   
8月14日  San Bernardino, CA     San Manuel Amphitheater
8月17日  Chicago, IL                 First Midwest Bank Amp
8月19日  Pittsburgh, PA                First Niagara Pavilion
8月21日  Hartford, CT                 Comcast Theater
8月22日  Camden, NJ                  Susquehanna
8月24日  Boston, MA                  Comcast Center

まさに本日千秋楽!!

佑門クン、お疲れさまでした!

過去の佑門クンの登場記事はコチラ↓

1.楽器フェアでこんにちは!~楽器フェア2009レポート<後編>

2.A Tribute To Randy Rhoads~ランディ・ローズ追悼イベント<後編>

2010年5月17日 (月)

【号外!】ロニー・ジェイムス・ディオ逝く

ああ、また巨星が…。

ロニー・ジェイムス・ディオが16日、胃がんのためこの世を去った。享年67歳。

RAINBOW、BLACK SABBATHと名門バンドを渡り歩き、自己のバンドDIOでも活躍。並行してHEAVEN AND HELLでも大人気を集めていたことは皆さんご存知の通り。

実は私は約30年前、初めて見た外タレがRAINBOWで、初めて見た外国人シンガーがこの人ということになる。

ということで思い入れもあって号外出してしまいました。『Rainbow Rising』好きだった。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2010年3月16日 (火)

【号外!】ピーター・グレイブス逝く~マーブロ・トリビア

ピーター・グレイブスが亡くなった。さすがに『スパイ大作戦』世代ではないが、親父が夢中になって見ていたのを覚えている。

このピーター・グレイブス、恐らく「ジム・フェルプス」が役者生涯最大の当たり役だろうが、忘れてならないのは1953年のウィリアム・ワイラー監督、ウィリアム・ホールデン主演の『第17捕虜収容所(Stalag 17)』。ここでもドイツ軍のスパイ役を演じていたが実にいい役どころだったな。おすすめ作品です。

と、なぜ『スパイ大作戦』がマーブロに引き合いに出されているかというと、あのラロ・シフリンのテーマ曲についてちょっと話したかったからなのね。

最高にカッコいい曲ですよね。5/4拍子で…。そして、ここが言いたかった部分なのですが、あれドラムがビリー・コブハムでフルートはヒューバート・ロウズだとか…。

ビーチ・ボーイズの人類史上最高の傑作のひとつ、『ペット・サウンズ』のクレジットにバーニー・ケッセルの名前を見つけたときも興奮したけど、この『スパ大』も魅力的な話しではありませんか?これ有名な話しなのかな?

こうして知らないところで意外な活動しているミュージシャン探しはとても楽しいですね。脇役時代の有名役者さがしとか。コッポラ監督、ジーン・ハックマン主演の『カンバセーション…盗聴』にハリソン・フォードがペロッと出ていたのには笑ったナ。

思いがけないところでマーシャルも使われているんだろうな~。令文さんの「マーシャル・トーク」じゃないけど、そんなデータがあれば興奮しちゃんですけどね…。

本日のマーブロ正記事はコチラ⇒Mariko Meets JMD:1~後藤まりこ(ミドリ)、JMD:1を弾く

2008年11月16日 (日)

【号外!!】ドラム界の巨星墜つ!~ミッチ・ミッチェルとマーシャル

2008年11月12日、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの元ドラマー、ミッチ・ミッチェルがシアトルで亡くなりましたこと、熱心なロック・ファンはすでにご存じのことと思います。

ミッチ・ミッチェルが実はマーシャルと深い関係にあったことはご存知でしょうか?

まず、彼はジム・マーシャルのドラムのお弟子さんだったんです。あの閃光のようなスティックさばきはジムから伝授されていたのです。

そして、ロンドンのクラブでジミが初めてマーシャルを使った日、ミッチがジムの弟子であることを知ったジミが、演奏終了後にジムを紹介してくれるよう頼んだというのです。ジミの本名はJames Marshall Hendrix…そして、ジムの本名がJames Charles Marshall(JCM)。ジミは自分の名前の2/3が同じ名前の男がそのアンプを作っていることを大層よろこんだとか…。そして、翌日ミッチの案内でジムの店を訪れ、3段積みを3セット、値引きなしで購入したのです。Super100jhfront_3 

でもこの辺りはいろんな逸話が残っており、果たして本当かどうかはもはや確かめる術はありません。しかし、その真偽を詮索するのはヤボなのでは?ロック史に残すに値するロマンティックな出来事として全部本当だと信じたい気がします。「ジミ・ヘンドリックスとジム・マーシャルの邂逅」などというロックの行方を左右するような大事件はもう2度と起こらないでしょうから…。もし、ミッチがいなければ、ジミはマーシャルを使わなかったかもしれない…。もし使わなかったら現在のロック・ギターのスタイルは間違いなく別のものになっていたかもしれないのです。

2004年、ミッチ・ミッチェルはFUJI ROCK FESTIVALで来日しました。ビリー・コックスとアンディ・エイルドート(教則DVDも出しているライター兼ジミ・ヘンドリックス研究家)を従えてジミの愛奏曲を演奏しました。残念ながらドラミングに関しては往年の鋭さを失っていたと言わざるを得ませんでしたが、仕事の関係で間近でお見かけした際には「この人がジミ・ヘンドリックスと演奏していたのか…」と感慨にふけってしまいました。

今頃は天国でジミやノエルともう一度「Purple Haze」をプレイしていることでしょう。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。