ロンドン・ロック名所めぐり vol.21~ソーホーあたり2
もうちょっとソーホー周辺を散策。
先回登場したバーウィック・ストリートを歩いていてピザ屋さんに出くわしました。
ここ名前が変わっています「JAZZ PIZZA EXPRESS」となってますね。要するにピザ屋さんでジャズのライブをやっているんですね。
それでこれがライブの予定表なんだけど、アタシャこれ見て心底驚きましたよ!もしかしたらこのシリーズ中で一番ビックリしたかも。普通の人はナ~ンも驚かないかも知れませんが…「ナン」ではなく「ピザ」ですけどね。
さて、ナゼ驚いたのかと申しますと、このライブの予定表の中にジョン・エサーリッジという名前を発見してしまったのです!
ジョン・エサーリッジですよ、ジョン・エサーリッジ!
ジョン・エサーリッジはダリル・ウェイ&ウルフやソフト・マシーンのギタリスト。ステファン・グラッペリとも演っていましたね。自分でフランク・ザッパ・トリビュートの「ザッパティスタス」なんてのもやってます(これは案外つまらなかったけどね)。ソロ・アルバムの『Ash』では「In Your own Sweet Way」やら「81」やら「Little Wing」まで演奏していてなかなかにヨカッタ。
失礼ながらピザ屋さんくんだりで演奏しているなんて!! 見たいナァ~、聴きたいナァ~、いいナァ~!!
ここはソーホー・スクエア。町の真ん中にこうして突然公園が現れるのがロンドンのいいところ。みんな草の上に座ってお弁当を食べたり、ゴロリと寝転んだり…。
公園の外、木々のちょうど間に茶色い建物が見えるでしょ?
コレがその建物。「mpl」という看板が出ています。mplとは「McCartney Productions Limited 」の略。
ポール・マッカートニー、イヤ失礼、サー・ポール・マッカートニー関連の出版物を管理する会社で、ロンドンとニューヨークに拠点を持つ個人所有の音楽出版社では世界最大のもの。
1970年にポールがアップルとアラン・クラインから距離を置くために設立しましたが、ポールは最終的にはアップル・レーベルに1975年まで籍を置き、結局mpl名義で最初にリリースしたアルバムは『ヴィーナス&マース』となりました。
この会社は多数の著作権を管理しており、ポール自身の作品はもとより、バディ・ホリー、ハロルド・アーレンやジェリー・ハーマンらのブロードウェイの作曲家たちの作品を網羅。アル・ジョルソンで有名な「ロッカ・バイ・ユア・ベイビー(私はサミー・デイヴィスJr.のバージョンが大好き)」の著作権もmplが持っているそうです。
ビートルズ関連では「ラブ・ミー・ドゥ」、「P.S.アイ・ラブ・ユー」、「プリーズ・プリーズ・ミー」や「アスク・ミー・ホワイ」などの曲がカタログに掲載されています。
ちょっと失礼して…。2階にはズラリと記念のゴールド・ディスクが飾られていました。お、誰かお客さんだ。
もうひとつビートルズ関連の話題を。
ソーホー・スクエアからほど近いこの路地。
このせまっこい路地の奥にスゴイものがあるのです。
それがコレ。スタジオですな。ここはトライデント・スタジオといって、「ヘイ・ジュード」が録音された場所…とだけ済ますにはあまりにもモッタイナイ施設なのです。少し解説をば…。
このスタジオは1967年にバリーとノーマンというシェフィールド兄弟によって設立されました。ここには独自に開発したトライデントAレンジ・コンソールというマルチトラックの録音機器が備え付けられており、音楽的なEQ機能を持つこのコンソールが大変な評判を呼び、数々の名盤をこの世に残したのです。
また、このスタジオには100年前につくられたドイツの名器、C.ベヒシュタインのハンドメイドのコンサート・サイズ・ピアノが置いてあり、「ヘイ・ジュード」やエルトン・ジョンの「僕の歌は君の歌(Your Song)」に使われたのです。その後、このピアノは弦を張り替えた途端音が硬くなってしまい、使われなくなってしまったそうです。上の2曲は同じピアノを使っていたんですネェ~。
また、トライデント・スタジオはイギリスで始めてドルビー・システムを使い、まだ、アビー・ロード・スタジオが4トラックのレコーディング・デッキを使用していた時に8トラックのそれを導入したのでした。この8トラック・デッキは「ヘイ・ジュード」の他、『ホワイト・アルバム』の「ディア・プルーデンス」、「ハニー・パイ」、「サヴォイ・トラッフル」や「マーサ・マイ・ディア」、さらに『アビー・ロード』収録の「アイ・ウォント・ユー」のベーシック・トラックが、そして、エリック・クラプトンも参加しての「コールド・ターキー」が吹き込まれたのです。
そういえば、数年前マーシャルに行った時、ちょうど禁煙を始めたのですが(実際にはイギリスのタバコがあまりにも高価で禁煙せざるを得なかった)、それほどのヘヴィ・スモーカーでなかった私でも初めの頃はその禁断症状に大いに悩まされました。少しでもラクになろうとやたらと深呼吸をしていると、マーシャルの友人が「どうしたの?調子でも悪いの?」と心配してくれます。「実はタバコを止めたんだ」と告げるとみんなに「オー、コールド・ターキーか?!」と言われました。その瞬間、あの世にもカッコいいイントロをクラプトンが弾く姿が目に浮かび、禁断症状の苦しみも和らいだのです。それとも幻覚症状だったのでしょうか?いずれにしろ禁煙は大成功!冷たい七面鳥に感謝なのです。
もう少しトライデント・スタジオの話しを続けましょう。当時のアップル・レコードのアーティストが大量にこちらのスタジオに流れて来、ビリー・プレストン、メアリー・ホプキン、ジェイムズ・テイラーらの他、ジョージの『オール・シングス・マスト・パス』もここでレコーディングされました。また、ポールは自分が使わない時に将来有望と見込んだバンドにこのスタジオを自由に使わせたそうです。その有望というバンドこそクイーンだったのです。(クイーンの話しはまた後で)
さらに、70年代初頭にこのスタジオを使用したアーティストは枚挙にいとまがありません。エルトン・ジョン、Tレックス、カーリー・サイモン、フランク・ザッパ、ストーンズ、フリー、リンディスファーン、マハビシュヌ・オーケストラ、ジェフ・ベック等々。
また、カリスマ・レーベルもお得意さんのひとつでした。カリスマといえばジェネシス。ジェネシスはここで『浸入』、『怪奇音楽骨董箱』、『トリック・オブ・ア・テイルズ』を制作。ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターやその重鎮、ピーター・ハミルもこのスタジオでレコーディングをしたのです。
先ほどクイーンの話が出ましたが、シェフィールド兄弟は初期のクイーンのブレイクに一役買っています。兄弟はクイーンに最新機器とスタッフを自由に使わせるという契約を結びます。プロデューサーやエンジニアも紹介しました。まだクイーンが無名の頃の話しです。アルバムが完成するとシェフィールド兄弟はそれを発売するレコード会社探しにてこずってしまう。クイーンの音楽があまりにも風変わりで当時の他のバンドと異なっていたのでレコード会社は契約することを恐れたのです。
そしてとうとうシェフィールド兄弟は「トライデント」というレーベルを立ち上げクイーンのデビューアルバムをリリースしました。アルバムはヒットし、クイーンはEMIと契約して『クイーンII』をリリースしたのです。ご承知の通り、クイーンは本国イギリスよりも早く日本で火のついたバンドです。つまり、シェフィールド兄弟と我々の支持がなかったら「ボヘミアン・ラプソディ」も「ウィ・ウィル・ロック・ユー」も聴くことができなかったのかも知れません。
つづく








































































































































































































