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マーシャル・エッセイ

2010年2月18日 (木)

野獣リユニオン・ライブ!~ロックは若者だけのものではないさ!

盟友・中野重夫からDVDが届いた。タイトルは『It's Only Hard Rock~NOKEMONOデビュー30周年記念LIVE』。2009年11月3日、名古屋ボトムラインでのライブを収録したプライベートDVDだ。

Nokemono_dvd

「やじゅう」と書いて「のけもの」と読む。1978年、地元名古屋で結成、活発な活動で人気を博し、それが認められジューダス・プリーストの名古屋公演にサポートアクトとして登場(要するに前座。でも昔はこの前座が楽しみでね~)。その後、中部北陸エリアを対象としたYAMAHAのバンドコンテスト、「ミッドランド」で優勝し、79年『地獄の叫び(FROM THE BLACK WORLD)』でデビュー。(現在はCDで入手できます)

Lp_sleeve

筆者は残念ながらライブは見たことがなかったが、デビュー・アルバムの宣伝チラシを野音の誰かのコンサートでもらった記憶がある(赤地に白抜きでドバっと「野獣」って入っていたような…。それともアレ、ARBだったかな~。とっときゃよかったナ)日本の70年代ロック・シーンの最後を飾った名バンドだ。

その野獣のオリジナル・メンバー5人の内4人が集まり、バンドの結成30周年を祝うライブが開かれたというわけ。

メンバーはボーカル&ギターのACE。

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ギターのBUNCHAN。当然のごとく並べられたマーシャル三段積みがうれしいね!キマってます!

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ベースはCHERRY。

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ドラムはZEN。 彼だけはオリジナルメンバーではない。

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そしてROLLAこと我らが中野重夫。昔は(今もか)欧米風の名前をつけるのが流行っていて名乗る本人たちも時には恥ずかしいように見受けられたが、野獣の場合はスゴイ!ボーカルのACEはトヨタハイエース、ベースのCERRYは日産チェリー、ROLLAはトヨタカローラ、つまり愛車にちなんだ名前なんだとか。ギターのBUNCHANはセリカに乗っていたので「リカちゃん」はマズかろうとうことで本名から取ったそうだ。

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ACEやROLLA(シゲさん)のように現役でバリバリやっているメンバーもいるが、バンド活動から遠ざかっているメンバーもいてはじめは少々ぎこちなくもないが、すぐに昔の間を取り戻してノリノリのステージを繰り広げる。とにかくみんな楽しそう!はじめはお客さんも恥ずかしがってかしこまっているのだが、ACEのかけ声で爆発!やってる方だけじゃなくてお客さんも楽しそう!

単なるノスタルジアだけじゃなく、こういう音楽が待ち望まれているのでは?しっかし、ホントに昔の日本のロックってこうだったよね。まるっきり新鮮に聞こえるわ。そう『It's Only Hard Rock』なのだ!

ところで中野重夫はFM愛知で『Keep On Rockin'』というレギュラー番組(毎週木曜日28:00)を持っていて、DJとしても活躍している。昔は音楽とシゲさんのおしゃべりで構成されていたのが(この頃は筆者も2度ほど出演させていただいて、モデルの解説や歴史を交えつつマーシャルで録音された名盤をかけたりして「マーシャル特集」を仕込んでいただきました)、最近はすっかりゲストとのセッションばかりをオンエアしているらしい。聴きたいな~。東京じゃ聴けないのよ。中京地区の皆さん、要チェック!

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シゲさん、それだけでなく不定期に朝日新聞の三重版に『カフェ日和』というコラムを掲載している。2009年11月30日付けの記事でこの復活ライブのことに触れている。本人の許可を得て少し引用すると…

「熱いおやじ魂が炸裂した。

11月3日、名古屋のライブハウス「ボトムライン」で、私が23歳の時にレコーディングしたハードロックバンド「野獣(ルビつき)」の30周年ライブを開いた。(中略)いま、メンバーの全員が50代。この年になってもライブをするなんて、デビューのころは考えもしなかった。(中略)青春時代をともに過ごした「戦友」たちとステージに立つ喜びをかみしめただけではなかった。30年を経て、進化した野獣をファンに見せることができた。

そして思った。50歳を超えても、ロックはまだ、深めることができるのだ」

シゲさん、歳なんて関係ないって!1954年のビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がロック誕生の瞬間としたら、ロックは今年でまだ56歳。大してシゲさんたちと年齢は変わらない(失敬!)。

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昔は30歳を越してもロックをやっている人がいると驚いたもんだけど、ロックも我々といっしょに歳をとってるんだからどうってことない!「ポール・マッカートニーやミック・ジャガーが還暦を過ぎてもロックを演っていてスゴイ」みたいな報道がよくされるよね。でも、老齢でロックをやっちゃいけないなんて法なんてまったくありゃしない。クラシックと違ってロックの場合、まだ世代は1回転していないんだから!

それよりもロックが本当にクリエイティブだった時代のロックをみんなでずっと伝承していきましょうよ!土台「今の若いモンは昔のロックを聴かない!」なんてついこぼしがちだけど、我々が若いころロックの歴史をさかのぼるのはたった20年でよかった。でも、今の若い人たちは50年以上もさかのぼらないと原点に行きつかない!これは大変な作業だし時間もお金もかかるからね。でもおいしいものは誰が食べてもおいしいはず。今はそのおいしいものを隠されちゃってるだけ。何がおいしいのかを是非教えてあげてくださいな!

ものは考えようですよ!決してイヤミなんかじゃなくて、今からレッド・ツェッペリンやディープ・パープルを知って楽しめるなんて若い人たちが本当にうらやましい!映画もそう、これから「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」や「用心棒」や「天国と地獄」、チト偏りすぎたか…「ウッドストック」を観れるんですよ!こっちゃ何十回観たかわからない…でもまだ何十回も観れる(と思う)。その素晴らしい瞬間が若い皆様に早く訪れますように!もう一度言いますが、これはつまらない年寄りのイヤミなんかじゃ決してありませんからね。(ホントは映画のブログもやりたいくらいなんです)

若い頃のキーで歌うことはできないかもしれない、若い頃使っていたゲージの弦でギターを弾くのはシンドイかもしれない、でもいくつになっても音楽っていいもんだ…残念ながらボトムラインに居合わすことはできなかったけど、野獣のライブはこんなこともしっかりと伝えてくれたに違いないと思います。

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※冒頭のDVDは非売品です。

(敬称略 資料提供:中野重夫)

2010年1月13日 (水)

はたらくマーシャル~日本一高いマーシャル

2009年暮れの東京。(ゴメンナサイ、まだ旧年中の話題で…)

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舞台美術の老舗シミズオクト社他、イベント業界の方々が環境に対して新たな取り組みに挑んでいるプロジェクトが「美しの里 - Keep White, Keep Clear」。

そのプロジェクトの企画が東京タワーで開催された。(2009年12月18~20日)

エントランス前の特設会場では外壁に美しの里の音楽とともに大型ビジュアル作品が投影されたり、ライブステージが設置され楽しい演奏が繰り広げられた。

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ここで活躍したのがベースアンプのMB

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ギターアンプは発売されたばかりのMAだった。

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ギャラリーには動物写真家、原田純夫さんのロッキーの大自然に生きる動物を姿が展示されたが、これがまた目を見張るような美しさ!とにかく素晴らしい写真たち!これは絵だね。持って行った自分のカメラを思わず隠してしまったことは言うまでもありません。

また大展望台には「Club333」というライブ・スペースがあり、期間中そこでも夜毎いろんな企画が開催された。

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地上145m。おそらくは日本で一番高い所で使われているマーシャルなのでは?

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目と耳とで楽しめる充実したイベントだった。

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ところで以前この大展望台を訪れたのははるか30年前のこと。やはりライブがらみだった。あの時は「日本で一番高い所でコンサートをやる!」という企画で出演はダディ竹千代と東京おとぼけキャッツ。

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夜景はまったく覚えていないけど 、お定まりのものまねやなかよし三郎さんのチョッパー大会(?)、そうる透さんがマーチングドラムを身につけてお客さんの耳元で叩きまくったりで最高に楽しいショウだったことはハッキリと覚えている。おとぼけキャッツは当時流行していたLA録音とかNY録音に対抗して香港に行ってファーストアルバムをレコーディングしたりして絶好調だった(そのアルバムではそうる透さんが1曲自慢のノドを披露してたりする)。渋谷屋根裏(昔のね)5daysなんてのも観にいったな。とにかく最高に楽しかった。

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あれからずいぶんと時間が経ったものだ。こっちはすっかり年を取っちゃって変わり果ててしまったけど、夜の東京タワーは相変わらず美しい…。

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(敬称略 ライブ写真提供:株式会社シミズオクト 他:2009年12月18日撮影) 

2009年8月 7日 (金)

WOODSTOCKとMarshall~我が青春のウッドストック 後編

最初のころは動くジミやフー見たさに映画館に通っていたのはご多聞にもれません。ところが、演奏シーンだけ見て他は器用に寝ておくなんて器用なことはなかなかできません。前編観なきゃならない。そんな具合でこの映画、見る回数を重ねているうちに演奏シーン以外にも楽める個所が増えて来たんですね。ま、これが「観念」というのでしょうか。映画を通じて当時のアメリカの若者の自由な言動に接することは驚きそして憧れでした。そして、あのカメラワークというか編集。もちろんピート・タImg_0338 ウンゼンドが空中で止まるところや、サンタナでマイク・シュリーヴがドンと出てくるところ(あのハンド・クラッピングだけででゾクっと来ますよね?)、カントリー・ジョー・マクドナルドの大俯瞰、黒い鍵盤に置く手のアップから始まるスライ&ザ・ファミリー・ストーンなど枚挙にいとまがありません。ジョー・コッカーのオルガンのイントロもスリリング。演奏以外のシーンでもノーマン・ジュイソンもビックリのマルチ・スクリーンも最高にカッコいい。そりゃそうでしょう、マーチン・スコセッシが編集スタッフに加わっていますからね。堂々たる出来です。始めはおっそろしく長く感じた3時間半も何回も見ているうちに飽きるどころか、だんだん短く感じてくるという始末。会場となったべセルの農場主、マックス・ヤスガーのスピーチも実に感動的。「マリワナ…」とささやくジェリー・ガルシアの姿も「すごい人!」と驚くジャニスの姿も印象深く、オリジナル・バージョンに演奏シーンがなくても動く姿が見えるだけでうれしかったのです。

その点、映画で未収録の映像が加わったバージョンはそういった流れを壊してしまうキライがあってチョイとなじめませんでした。そりゃオリジナル・バージョンでは見ることのできなかった、ジャニスやグレイスの演奏シーンが見れるようになったのですから嬉しい限りなのですが、オリジナル・バージョンにあまりにも慣れ親しんでしまっている私らは、こちらのバージョンは「記録」として捉えざるを得ません。つまり、一種のミュージック・ビデオ。

サウンドトラックももちろんすぐにゲットしました。LP3枚組で当時はかなりお小遣いを貯めなければなりませんでした。これも買って驚きましたね。だって映画と関係ない曲がワンサカ入っているわりにはリッチー・へヴンスの「ハンサム・ジョニー」やザ・フーの「サマータイム・ブルース」は入っていないわ、アーロ・ガスリーはテイクが違うわで不思議いっぱいでした。いったい映画のどこにジェファーソン・エアプレーンが出てたのよ?!と子供心に不満に思ったものです。でもかなり聴きこみました。結局大好きになった。ジョー・コッカーの「ウィズ・ア・リトル・フレンズ~」のアレンジがジミー・ペイジによるものだったことを知った時にも結構驚いた。「や~っぱスゲェわ、ツェッペリンって」って。

さらに後年驚いたのは、アーティストの出演順がリッチー・へヴンスを除いて実際と恐ろしくかけ離れていたということ。これは少し幻滅させられたかな~。映画の方がいいに決まってる!

そういえば1976年「日本のウッドストック」的な触れ込みで「ローリング・ココナッツ・レヴュー」という捕鯨禁止キャンペーン・コンサートが開かれましたね。リッチー・へヴンス、カントリー・マクドナImg_0339_2 ルド、ジョン・セバスチャンなど本当にウッドストックに出てた連中がやって来るってんで私も見に行きました。会場は晴海ドームとかいって車の展示会をやるバカデカイホールでした。私が見たのは初日(だったのかな?)でリッチー・ヘヴンスが出演して「Here Comes The Sun」を演奏していたのを覚えています。最後はお約束の「Freedom」でした。感動しました。ウッドストックの冒頭を飾った人が目の前にいるんですよ!自分が40万人の中にいるつもりで演奏を聴き入りました。他にはエリック・アンダーソンやオデッタ、岡林信康(ファンだった!けど確か演奏中にトラブルがあったような…)、泉谷しげるさんなどが出演。泉谷さんのセットではソロ・デビュー間もない(頃だったと思います)Charさんが白いスーツに白い帽子をかぶって登場。ムスタングを引っさげてトレモロ・アームを上下する姿は筆舌しがたいカッコよさでした。それとオデッタの演奏の時、(順番は泉谷さんより前)彼女は傍らでお香を焚いて演奏するのですが、その香りが強烈だったのを覚えています。また、途中に彼女がパチンと拍子を打つ曲があって、何人かのお客さんがそれに合わせて拍手をしようとするのですが、(彼女は一緒に拍手をしてくれなどとひとことも言ってないんですよ)その拍手が大幅にズレてたのが彼女には不快だったらしく、「チョット~、アンタら勝手に手ェ叩かないでよ」とあからさまに迷惑そうな顔していたのが印象的でした。
このイベント、ものすごい長丁場のわりには食べ物の供給が猛烈に貧弱で、売っているものといえば味も素っ気もないコッペパンくらいで究極的にお腹を減らしてしまいました。加えて終演時間も遅く、帰りのバスがなくなってしまい銀座まで歩いて帰ったのですが、まだ私は中学生でしたから、「帰りが遅い」とオヤジにケチョンケチョンに怒られてしまいました。でも、ま、ウッドストックのトップバッターを努めたアーティストを間近に見たんだからよしとしましょう!

というワケであんまりマーシャルは登場しませんでしたが、ウッドストック、その場に居合わせたわけではありませんが、その周辺も含めて間違いなくわが青春の見開き2ページくらいを飾るイImg_0341 ベントだったのです。

そのウッドストックの未発表映像をプラスした40周年記念DVDが出ましたね。今度はザ・フーの未公開映像やらデッドも見れるとか?素晴らしい!やっぱりまた買っちゃうんだろうな~、でも「映画作品」ではなく「記録映像」として…。

文中に散りばめた写真は私が保有するウッドストック関連グッズです。別にコレクターではないので珍しいものは特にありませんが、LP、CD、LD(なつかしい!もうプレイヤー持ってない!)、DVDと何回も買ったものです。

こちらは幾分レアかな?いわゆる映画の「チラシ」。A4の二つ折りになっています。どこでもらったか覚えてないな…。

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それからこれは映画のプログラム。残念ながらオリジナルではありません。何回めかに見たどこかの映画館で買ったんだと思います。

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このプログラム、なかなかシャレてて、フェスティバルの公式ポスターの縮小版や出演バンドのイメージ・イラストがふんだんに掲載されています。

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それにしても、ウッドストックを通じてマーシャルがロックの歴史の1ページを刻んでいることを光栄に思います。ありがとうJames Marshall Hendrix & James Charles Marshall!そしてWoodstockよ、永遠に!

2009年8月 6日 (木)

WOODSTOCKとMarshall~我が青春のウッドストック 前編

夏フェス真っ盛り!今回のマーシャル・ブログはビッグ・イベントの元祖ウッドストックに思いっきり私情を交えて触れてみます。

一体何回観たことでしょう?小生、映画館で『ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間』を観た回数に関しては、そう簡単に人後に落ちないつもりです。「ぴあ」や「シティロード」をチェックしては東京中の名画座を駆けずり回ったものです。DVDはおろか、ビデオすらなかった時代ですから映画館に足を運ぶより他に見る方法がなかったのです。

初めて「観た」のは…というより「寝た」の『ウッドストック』は退屈だった…。その時は「バングラデシュ」とのダブル・フィーチュアでしImg_0335 た。中学校2年生だったかな?ビートルズこそロックだと思っていた頃ですから、当然「バングラデシュ」を目当てに映画館に出かけたのです。ところが、こちらの方も存外に退屈だった印象が強く、この時以来実は一度も見直していません。(ファンの皆さんゴメンなさい!)子供ながら記憶に残っているのは、ラヴィ・シャンカールが「演奏中にはドラッグを控えて欲しい」と言ったことと、ジョージがレオン・ラッセルを紹介した時に座ったままのレオンに向かって「立てよ、レオン」と注意したとこぐらいかな。演奏はほとんど記憶に残っていない。でも今にしてみるとジェシ・エド・デイビスが見たいな~。

「ロック映画」などというジャンルがあるのでしょうか?当時はこの手のものがたくさんあってソウル系の「ワッツタックス」や「フィルモア最後の日」なんかがよく「ウッドストック」と併映されていたImg_0321 ように記憶しています。しつこいようですが、何しろまだビデオもない時代で、テレビで海外アーティストの映像が見られることが激レアな時代だったから、このようなフィルムが非常に重宝がられていたことは方々で語られている通りなのです。もっとも当時を振り返ってみると、「ロック」と「歌謡曲」というか「ポップス」のジャンルが明確に分けられていて、いわゆる「日本のロック・アーティスト」をテレビで見られることの方が海外ロック・アーティストをみることよりはるかにレアだったかも知れません。

有名な「モンタレー・ポップ・フェスティバル」なんかも最初に見たのは九段会館だったかな? コンサート形式でありがたく拝見させてもらいました(写真はその時のプログラム)。そういえばビデオが一般化した後年、大晦日かなんかにテレビで「ウッドストック」を放映していたことがありましたね?ビデオの生テープも最初のころは殺人的に高かったナァ)
この「ウッドストック」が1969年に開催されたということは、ロックの試験があれば頻出問題になることは間違いないくらいの常識なワケだけれども、考えてみると初めてこの映画をみたのは実際に開催されてからまだ10年も経ってない頃だったんだね。それが今年は開催から40年という節目の年になるというから自分の年齢にも驚きです。ということでとにかくめでたい!マーシャル・ブログも「ウッドストック40周年記念」気分に浸っているというワケなのです。

閑話休題。いよいよ思い出してみるに、あの頃はフィルム・コンサートというのが各地で頻繁に催されていて、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』を有楽町のよみうりホールに観に行ったことをハッキリと覚えています。この時が本邦初公開だったです、1978年ぐらい?どうしてこのことを覚えているかというと、その当日、まれに見る大型台風が東京を直撃し、学校が半ドンになったのです。当然家に帰って家にいなければならないのですが、少ないお小遣いをはたいてでチケットをすでに買っているワケですし、当然家にジッといるワケにはいきません。そこでロック好きの友人達とやや後ろめたい気持ちもありつつ出かけた。司会は音楽評論家の渋谷陽一さん。われわれFM NHKの彼の番組を楽しみにしている輩でしたらからそれだけで大興奮!その時、渋谷さんがストーンズの映画に先だって「今、一番ホットな新人バンドを紹介します」といってかかったフィルム(今でいうPV)が日本デビュー前のチープ・トリックでした。ものすごくカッコよかった。数年後、ライブ・レコーディングされた有名な武道館にも当然行きました。チープ・トリックもマーシャルを使っていましたね。

さて、「ウッドストックとマーシャル」といえば何といってもジミ・ヘンドリックス。あの朝日に浮かぶ1959のフルスタックの壁は荘厳ですね。マーシャルもあの場面に自社の製品が登場していること1959_full_stack_front を誇りに思っています。それにしても残念なのはあの観客の数。押しに押した進行がジミの出番を一日遅らせてしまったのだから凄まじい。40~50万人いたのがたったの3万人。ま、これだけでも大層なかずですが…。ジミが一番ギャラ高かったというのに!そして、仕事だからといってもジミを見ずに帰ってしまった人たち…いまだに臍を噛んでいるのではないでしょうか?一時は出演がキャンセルとなったという噂があったみたいですね。あのジミの演奏は本調子ではないとよく言われていますがそんなこたぁもはや関係ありません。実際のジミのマーシャルの音を聞いてみたかったナァ。熱心なヘンドリックス・フリークぶりが有名なウリ・ジョン・ロート曰く、「とにかくクリーンで美しかった」ジミのマーシャルの音。ん~、マーシャル・クリーン・ファンって実は多いのね。彼は若かりし頃2度ほどドイツでジミを見たと言っていました。
ちなみに今はディレクターズ・カットになってジミの出番は彼がアナウンスに合わせてマーシャルの影から出てくるところから「Voodoo Chile」が始まりますが、劇場版はこの前のシーンにジミのギターの音が重なってきて鳥肌を出してくれるという仕組みでした。何しろここあたりのシーンまで延々3時間くらい待ち続けるのですからジミの出番は喜びもひとしおです。そして「アメリカ合衆国国歌」…タマリマセン。なぜかこのジミのところだけコマ落としになっていて、ジミの動きがザクザクになっているんですね。これもまたカッコよし。「Purple Haze」の後、あの美しくももの哀しい「Villanova Junction」にそのまま突入し、映像はフェス終了後のあたり一面ゴミ野原と化した会場のようすに変わるのですが、ここはこれでジミが写ってなくてもまたよし。不思議なことに「ジミを映せ!」という感情にはならない。少なくとも私はこれが美しいと思っています。ただ、あのシーンでいつも思っていたのは、靴をなくした若者が捨て置いてあるスニーカーを拾いサイズを確認するところ。アレ履いたら中が濡れてて気持ち悪いでしょうね。それとあのスイカ。あれは食べれませんよ。あのふたりよっぽど空腹だったんでしょうね。これが子供に観た時の印象。そのまま脳裏に焼き付いています。

あの場に日本人はいたのでしょうか?有名な話しでは故成毛滋さんがいらっしゃったそうで、開催された当時の「ニュー・ミュージック・マガジン(当時)」を紐解くとそのレポートが掲載されており、かなり面白いのでご興味のある方は要チェックです。(『ミュージック・マガジン増刊 スペシャルエディション パート1』に掲載されています)

何しろ「ものすごい人」だったとかで、ウッドストックに在住していた私の友人のフォーク・ミュージシャン(かなり有名なボブ・ディランの先輩格のアーティストです)にその様子を尋ねたことがありましたが、その人は実際にサブ・ステージへの出演を依頼されていたそうです。何しろウッドストックに住んでいるワケですから、出番に間に合うように「んじゃチト行ってくるわ」ってな調子で家を出たそうです。ところが、道が混んでいて到着が大幅に遅れ、また、人がいっぱいでとうとうステージにたどり着けなかったそうです。それからどうしたかって?そのまま帰って来ちゃったんだって!!ちなみにこの人もあのフェスティバルがこんなに歴史に輝くものになることが予めわかっていたら是が非でもステージに立つべきだった!と残念かっていらっしゃいました。

話しを元に戻すと、アルヴィン・リーがどうやらマーシャルを使っているようですね。何しろあのImg_0336 ピンスポが当たっている場所以外は真っ暗なステージなので演奏中にハッキリと確認できるわけではありませんが、最後にスイカを担いでステージを降りようとしているときにフルスタック、UNIT3(1959の3段積み)の姿が確認できます。それにしても初めてテン・イヤーズ・アフターを見たときはブッたまげたナァ~。いい気持ちで寝ていたのがいっぺんに飛び起きてしまったんだから!マーシャル・プレイヤーということでもうひとつ言えば、ジェフ・ベック・グループが出ていればもっとよかったのにナァ。

<後編につづく>