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マーシャル宝物殿

2011年8月11日 (木)

スパイナル・タップ(Spinal Tap)のMS-2、ブルースブレイカー関連、マーシャル本、£50

まただ。

そう、またスパイナル・タップなのだ。

Img_0016

マーシャルがこんなの作ってた。

Spinal Tap仕様のMS-2!非売品でゴメンナサイ!

Img_0006

フロント・パネルにロゴが入っている。

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そしてお約束の11までのレベル表示!

ク~、愛おしい~!キャワイイ~!家宝~!

アタシもたいがい好きだけど、こんなものを作っちゃうぐらいなんだから、いかにイギリス人がスパイナル・タップを愛しているのかがわかるというものだ。

それにしても、今回の暴動事件はショックだった。

Img_0010

それからこんな本が出てた。マーシャル初のコンボ・モデル、1962Bluesbreakerの本。発売された様々なバリエーションを網羅しているのはもちろんのこと、真空管からスピーカーからウンザリするほど1962のことが書いてある。

Bbb

そしてもうひとつブルースブレイカー関連。昔なつかしテレフォン・カード。50度数。1962の再発売を記念した販促品。時代の流れを感じるね~。テレカはレアでもブルースブレイカーはいまだポピュラーだゼ!

Phonecard

これは来年のマーシャル創立50周年を記念して発行された50ポンド紙幣。紙幣番号がMK50 20110401となっている。4月1日の発行かな?もちろんMKはマーシャルの工場が位置するMilton Keynes(ミルトン・キーンズ)の頭文字だ。

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ウッソで~す。当然これはシャレで本当は絵ハガキ。Dr. Jim Marshall OBEにサインを入れてもらった。目下これが最新のジムのサイン。今まで一体何回ジムからサインをもらったことだろう…。そのどれもが私の宝物だ!

Long live Jim Marshall!!

Autograph

2011年7月 4日 (月)

Guv'nor(ガバナー)誕生秘話~ケン・ブランの思い出

The behind story of the birth of the original Guv'nor~In the memory of Ken Bran

ここに一冊の洋書がある。

「THE SOUND OF ROCK」…世界中の熱心なマーシャル・ファンが携帯しているであろうMike Doyle著「THE HISTORY OF MARSHALL」の簡易版だ。ちなみにその本の表紙に使われているマーシャルは現在山口県在住の日本人コレクター、T氏の手元にある

そして写真の簡易版は本編を徹底して切り詰めたような内容だが、若干挿入されている写真が本編と異なりそれなりに目を通していて楽しい。まず表紙がカッコいいし!

この本には面白い過去が隠されているのだ。

Book

この本は以前国内でマーシャルの販売を担当していたS氏の持ち物だが、その前の持ち主は何と、ケン・ブランだったのだ。

ケン・ブランといえばマーシャルの創設に深く関わったエンジニアだ。マーシャルは1962年、ジム・マーシャル、ダッドリー・クレイヴン、そしてケン・ブランという3人のスタッフでスタートした。マーシャルとしての始めての製品、JTM45はケン・ブランの設計だ。

話しはそれるが、上の「THE HISTORY OF MARSHALL」のページをめくっていると、見た目はほとんど1959だが、「NARB」というモデルが存在していたことがわかる。このNARBという名前、実はケンの苗字のバックワード。つまり、BRANを逆から綴るとNARBになるというワケ。詳しくはコチラ

話しを戻して…以下はそのS氏の回想。

まだ楽器フェアが池袋で開催されていた時分に話しはさかのぼるが、ジム・マーシャルとケン・ブランが一緒に来たことがあったそうだ。空き時間になってケンに「どこか行きたいところがあるか?」と尋ねると即座に「アキハバ~ラ」と答えた。この場合間違いなくアクセントは「バ」にある。

もちろん、メイド喫茶に行くワケでもフィギュアをチェックしに行くワケでもない。だいたい、んなもんはない時代の話しだ。

本人は空のマジソン・バッグを手にしてヤル気マンマンだったそうだ。ちなみにこのマジソン・バッグ…知っているとなるとかなりの年齢ということになろうか?1974~1975年ぐらいのことだったろうか?

何であんなに流行ったんだろうね、アレ。私はその真っ只中にいたのでかなりの年ということになるが、本当は白が欲しかったけど手に入らなくて黒を買った。基本は紺で、みんなと同じヤツがイヤだったんだよね。どこへ行くにもマジソン・バッグを持って出かけた。そしてどこでも持っている人を見かけた。アレ確か最後には千葉の富津の海に落っこどしてダメにしちゃったんだよな…。

それから約20年後、初めてニューヨークに行ったとき、西33丁目、マジソン・スクエア・ガーデンのほぼ向かいのホテルに泊まったけど、まったく何の感慨もなかったな。「オ~、これがあのマジソン・バッグのマジソン・スクエア・ガーデンかぁ~ッ!!」なんてならなかった。何しろ、使っていた当時はあのバッグに書いてあった文句なんてどうでもよかったからね…だかからだ。

さて、マジソン・バッグを手にしたケン、アキバにつくやいなやラジオ・デパート(パーツ屋街)へ突撃!入り口にある極小ラジオペンチ、極細半田ゴテ、被服コードストリッパーを売っている工具店に始まってもうドップリ…優に3時間は中から出てこなかったそうだ。

ようやく外へ出てきたときにはあたりも暗くなっていたがケンはいたくご満悦のようす。それもそのはず、あの空だったマジソン・バッグに中は小型ヒューズ、コンデンサー、抵抗、計測メーター等ケンの欲しかったものだらけでパンパンに膨れ上がっていたのだそうだ。

その時お付き合いしたお礼としてケン・ブランから直接頂いたのが上の写真の本だというのだ。うらやましい!

ところで、ロンドンではトッテナム・コートロードが「イギリスのアキバ」みたいに言われているようだが、ナ~ニ、普通の電気屋さんがチョコチョコっとあるだけ。秋葉原とはワケもケタも違う。秋葉原ってのは本当に世界的にスゴイ街なのだ(昔はもっとよかったけどね)。

それと神保町。こちらはいわずと知れた世界最大の古書の街。ロンドンではチャリング・クロス・ロード。これも神保町の方がケタはずれにデカイが、チャリング・クロスもなかなかに捨てがたい。買ってもどうせ読まないから滅多に買わないけど、覗いて歩くだけでも実におもしろい。それと新古本屋。ロンドンには売れ残りの本を売る店いくつもあって、こちらもリーズナブルでおもしろい。先日定価2,000円ぐらいの新品のエルトン・ジョンの半生記を400円ぐらいでゲットした。電気マニアにはつまらないかも知れないが、ロンドンは本好きにはタマラない街だ。

もうちょっと話すと、レコードやCDはもうダメ。いいソーホーやポートベロー通りには中古レコード屋もあるにはあるのだが、今は円高の恩恵でイイ線いっているが基本的に高い。それに品物が汚い。それよりもマーケットに出ているレコード屋さんの方が面白い。また、イギリスではレコード市みたいなものが盛んに行われている。私は日本の中古レコード屋さんで充分満足しているし、どうせフランク・ザッパ・アイテムしか興味がないので、イギリスに行ってもわざわざレコード市に出かけたりしない。

一方、イギリスの小さい町にはマーケット・スクエアという広場が大抵あって、毎日市が開かれていることが多い。デヴィッド・ボウイーの「Five Years」にある「♪ Pushung through the market square, so many mothers sighing」のアレですな。そこではそれぞれ出品者が持参した新鮮な野菜やアンティーク・グッズ等が売られていて中古レコード屋もあったりする。

昔、ある小さな町のマーケット・スクエアでレコード店を見つけてサクサクとエサ箱を漁っていたら、店のオジサンが「ナニを探してるんだ?」と訊いてくる。このオジサン無愛想でおっかないワリにはやけに積極的で、こちらも「イイエ、特に…」などとは言えず、つい「フランク・ザッパの何かありますか?」と訊き返した。

すると、オジサン、「ナニ~?ザッパか~?!」と面倒くさそうに言いつつものの数秒で10枚ほどLPを出して見せた。「ヤバイ…これ何か買わないと帰れないパターンのヤツや…」と冷や汗タラリ。またこれが、全部持ってるアイテムなうえに飛び切り汚いときてる!イヤだ!こんなものにお金を使いたくない!

えいママよ!とばかりにこう切り返してみた。「『Zappa in New York』のUKオリジナル盤を探してるんですが…」と。その答えに驚いたよ。こちらはオジサン「?」になって「ハイ終わり、さんきゅ~」というパターンになることを想像していたからだ。

オジサン「ナニ~「Punky's Whip's」が入っているヤツか?」と即答!知ってんだよね~!ビックリよ。そして「ヘヘヘ、オレは持ってるけど売らね~よ!」だって。ま、とりあえず無駄使いをしないで済んだ…の巻きとなった。

さて、話しはケン・ブランに戻りますよ~!

それからしばらくしてイギリスからS氏のもとに新商品のサンプルが届いた。それは大ヒットしたエフェクター、Guv'nor(ガバナー)の初号機だった。(写真は2代目の韓国製Guv'nor)

Guv

「そうか!これを作ろうと思って秋葉原に買出しに行ったんだ!」とピンと来たS氏、興味津々、裏ブタを開けて中をのぞいてみると…出てくるわ出てくるわ、あの時秋葉原でゲットした日本製のパーツが!その後しばらくして、製造がイギリスの本社工場から韓国にシフトされたため、イギリス製のオリジナルGuv'norはさらに価値を上げ続け、現在でもファンが後を断たない。

Guv'nor開発の影に日本製パーツあり。日本経済の栄光は今いずこ…。

ケンは現在はマーシャルとの関わりを一切持っておらず、接触しているのはジム・マーシャルと一部のごく親しい人たちに限られているという。

そして、S氏ももうすぐご定年で退職される。こうしたかくれた歴史というものは組織で営業活動をしている以上、人の入れ替わりでいとも簡単に消滅してしまうものだ。それがこのようにマーシャル・ブログという形で伝承できることにとめどもないよろこびを感じている。

事実は小説より奇なることも多いのも事実だ。一方、歴史に「IF」は禁物というが、「IF」の方がおもしろいことも多い。この日、S氏が下痢かなんかで会社を休んでケンがアキバに行くことを諦めたという「IF」はどうだろう。Guv'norがこの世に出てこなかったかもしれないし、違うものになっていたかもしれない。S氏もまたマーシャルの歴史の一部なのである。

マーシャルの古き佳き時代のお話し…。

12年前、私が入院した時心配して何度もお見舞いに来ていただいたSさん。今回もお世話になりました。

この場をお借りしましてあらためてすべてのご厚情に対し深く御礼申し上げます。Sさん、長い間ご苦労さまでした!

(一部敬称略  制作協力:S氏)

2009年1月23日 (金)

マーシャルROCK WALK!!

LAはハリウッドの名物のひとつGUITAR CENTER "ROCK WALK"。今回のマーシャル宝物殿はその中からマーシャル関連のアイテムをご紹介しましょう。

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その前にROCK WALKってなんだ?

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「1985年11月13日、今日ここにおいてミュージック・ビジネスに著しく貢献した人々にROCK WALKが捧げられるものとする」…ロック・ウォークとは興行師シド・グローマンに捧げられたチャイニーズ・シアターの前のハリウッド・スターの手形&足形よろしく音楽業界に偉大な足跡残した人たちに敬意を表すべく設けられたもの。 もはや音楽好きにとってはハリウッド名物のひとつと言っても過言ではないでしょう。まずはこれ…

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ジェフ・ベック。もうすぐまたやって来てくれますね。楽しみです。そして、ヤードバーズ仲間の…

Page

ジミー・ペイジ。イギリスつづきで進めれば…

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アイアン・メイデンとシグネイチャー・モデルを出したレミー率いる…

Motorhead

モータヘッド!レミーの左手ったら!アメリカ勢ではNYパンクの巨人…

Ramones

ザ・ラモーンズ。ド・マーシャルのバンドですよね。さらに我らのベルサルク…

Zw

ザック・ワイルド。ちゃんとSDMF入ってます!そして濃いのを3つ連続で。あこがれのブラウン・サウンドといえば…

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マーシャルはあのブラウン・サウンドの立役者なのです!それから偉大なる…

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レス・ポール!最後に我らのガヴァナー(おやっさん)、JCM、ジム・マーシャル!

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さて、みなさんお気づきになりましたか?この3人、つまりエディ、レス・ポール、ジム達がこの手形を残した日が同じなのです。つまり、ROCK WALKをスタートした1985年11月13日、この記念すべき日に選べれるべくして 選ばれた音楽界の偉大なるイノヴェーターの中にジム・マーシャルがいたのです。(他にドラムのビル・ラディックもいらっしゃいました。また、ジムの傍らにはスパイナル・タップのナイジェル・タフネルもいたとか…)

LAを訪れた際には是非見学してください。

(2009年1月14日 ハリウッドにて撮影)

P.S. それにしてもLAの暑さたるや尋常ではありませんでした。

2008年11月 7日 (金)

選手のサイン入りユニフォーム~がんばれドンズ!

マーシャルの本拠地がMilton Keynes(ミルトン・キーンズ)というところにあることは『ヴァーチャル工場見学』の記事でもご紹介した通りです。

今回はマーシャル・ブログでサッカーの話題です。(何しろこちとらアンプ屋なので内容に間違いがあったらゴメンなさいね、サッカー・ファンのみなさん…音楽以外の話題は何だかコワイな)

実は、このミルトン・キーンズをホームとしているサッカー・チーム(この場合イギリスの話題なんだからフットボール・チームって言ったほうがいいのかな?)があります。2008 - 2009年シーズンは3部リーグのFootball League Oneに所属しているMilton Keynes Dons F.C(=MK Dons、MKドンズ)です。

このチームは2004年ロンドンはウィンブルドンFCの消滅を受けてミルトン・キーンズにホームを移して結成されたチームなのです。だから、名前もミルトン・キーンズの"MK"とウィンブルドンの"ドン"で構成されているのです。そして、そのユニフォームがこれ。

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工場のレセプションに飾ってある選手のサイン入りユニフォームです。実はマーシャルはこのチームのユニフォームのスポンサーになっているんですね。だからMarshallロゴが入っているというワケ。

Uniforms

ミルトン・キーンズには1982年にQueenがコンサート開催したMilton Keynes Bowlという65,000人を収容する有名な施設がありますが、現在MKドンズのホーム・グラウンドとしてやはり60,000人規模のスタジアムを建設tしています。これがマーシャルの工場のチョイと先のロケーションです。

ご多分にもれずグッズの販売もしており、旧スタジアムにあったショップで買ってきたシャツがコレ。

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ちなみに地元の人たちは「ドンズ、ドンズ」と呼んでいるようです。

がんばれ、ドンズ!

2008年10月31日 (金)

ザック・ワイルド(Zakk Wylde)のレザー・ジャケット

今回の宝物殿は、マーシャル工場のレセプションに飾ってある逸品(珍品?)です。

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フレームのガラスが派手に反射してしまうため横から撮った写真でちょっと見づらいのですが、実際にザック・ワイルドが着用していたレザー・ジャケットです。

2002年、マーシャルは創立40周年を記念してイギリスを代表する自動車メーカー、ジャガー(Jaguar)とのコラボレーションで、ハンドワイアード、本革張り、世界販売限定40台という純白の1962 Bluesbreakerを製作しました。

その1962はエリック・クラプトンにプレゼントされ(1965年、Bulesbreakerはエリック・クラプトンのリクエストにより誕生しました)、また、マーシャルに大きく貢献したギタリストのひとりとして、ザック・ワイルドにも贈られました。

ベルセルク(Berserkr:北欧神話に登場する特殊な戦士。無法者、乱暴者を意味する)の異名を持つザックですが、マーシャルのスタッフから聞いた話しでは、このBluesbreakerが進呈された時の彼は周りの人が仰天するくらいの感動のしようだったとか。そして、ザックはそのお礼としてその時着ていたこのジャケットをマーシャルに捧げたという。あだ名は物騒でも実はいい人なのね。

2008年10月16日 (木)

古のマーシャル・カタログ~その2

昔のカタログを紹介するシリーズの第2弾。今回も1970年代のクラッシック・カタログをご紹介しましょう。

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表紙がまた渋い。カテゴリーも「LEAD AMPLIFIER」、「BASS」、「PA」と時代を感じさせます。装丁はA4見開きの4ページ。ページを開けると…

「ハード・ロッカーのハートを燃やせ!!マーシャル。」 まだ「ハード・ロック」という言葉も比較的新しかった時代なのでしょう。最後に取って付けたような「マーシャル」というのがまだよそよそしくて新鮮な感じがします。そして、キャッチコピーにも関わらず句読点「。」で締めているところがこれまた渋い!

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加えてスゴイのは絵面。ほとんどみな同じだ!見た目はいっしょでももちろん用途によって型番は異なります。UNIT3は今で言うと1950SLP+1960AX+1960BX。そのとなりのUNIT22は今はもうなくなりましたが、ベース用3段積みの1992+1935A+1935Bという取り合わせです。右側のページでは2×12"のキャビネットが2045(今で言うと1936か1922です)というモデルがありました。

目を引くのはオルガン用のアンプ。ま、今やオルガンといえばあの回転式スピーカーが相場と決まっている感がありますが、ジョン・ロードのようにマーシャルでオルガンを鳴らしているプレイヤーも多かったというワケ。また、オルガンを多用したロックはEL&Pやディープ・パープルだけではなく、当時はデイヴ・グリーンスレイドのグリーンスレイドやコラシアム、ケン・ヘンズレーのユーライア・ヒープ、ちょっと傾向は異なりますがブライアン・オーガー等、カッコいいバンドやアーティストがたくさん存在していたのです。(また、ほとんどのみなさんが今も精力的に活動中です)

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そして「新兵器」として紹介されているのがトランジスターのモデルたち。そして、ギター&オルガン用キャビネットの2064なる1×12"と2065なる1×15"キャビネット。マーシャル・フォロワーであふれ返っている現在、コイツら何となく今よりも個性的な感じがしませんか?

※資料提供:T氏

2008年10月 2日 (木)

Marshall World~珍品!35年前に発行されたアーティスト・ニュース

今回の宝物殿は世界にたったひとつしかないものをご紹介しましょう!

Marshall World - マーシャルのアーティストニュース。正確にはいつからいつまで発行していたのかは不明だが、これは1973年5月第9号。当時マーシャルを世界中に配給していたRose Morris Co., Ltd.が発行者となっている。

Frame

額についている銘板には、日本でのマーシャル発売20周年を祝してジム・マーシャルからヤマハ株式会社に贈られた記念品であることをサインを添えて証している。1993年に贈呈されたもよう。

Plaque

それぞれ記事の内容は…

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Free publicity for you! (あなたを無料で宣伝します!)
100万人の3/4。これがMarshall Worldを呼んでいる人々の驚くべき数です。また、18万部がSOUNDS誌に、7万5千部以上がマーシャルが流通している世界中の国に配給されています。75万を越す人々がこれを読んでいます。
あなたのグループやバンドのニュースや写真をこの巨大なマーケットに届けませんか-無料ですかって?
 我々はクレイジーではありません。Marshall Worldにあなたのグループを掲載するにあたり一切の費用はかかりません。
 次のことをしていただくだけで結構です:グループ、メンバーのプロフィール、活動エリア、演奏する音楽の種類、その他興味深い情報…これらをMarshall Worldの編集部にお送りください。(住所)ただひとつの条件はグループはマーシャルの機材を使用していなければなりません。そこで、あなたのグループの無料広告が可能となります。詳細をすぐ送って次のMarshall Worldで目立っちゃおう!------のんびりしてます…。当然今は募集していませんのであしからず…。

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PURPLE PLAY USA AND JAPAN (パープル、アメリカと日本でプレイ)

マーシャルを使用している人気グループのうちのひとつディープ・パープルがアメリカと日本をツアー中で、7月にイギリスに戻ってきます。今秋にはニュー・アルバムが期待できそうです。(註:2度目の来日ツアーのこと。つまり、「ライブ・イン・ジャパン」の時ではない。結局、このツアーの後、イアン・ギランとロジャー・グローバーが脱退し、73年に発表する予定であったニューアルバムは翌年に発表が延期となった。そして1974年に発表されたアルバムこそ「紫の炎(Burn)」である――― 島紀史)
この5年間でパープルは世界を魅了するバンドにのし上がった。リッチー・ブラックモア(ギター)、イアン・ギラン(ボーカル)、ロジャー・グローバー(ベース)、ジョン・ロード(オルガン)そして、イアン・ペイス(ドラム)はバンドを2階級特進させたのだ。ピュアなハードロックを演奏し、アグレッシブで視覚的にも優れ、音と光のグラデーションを際立たせる。そして、ジョン・ロード作曲、イアン・ギラン作詞による「グループとオーケストラのためのコンチェルト」でロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演を果たした。
 そして、ジョンはBBCからの委託により「双子座組曲(The Gemini Suite)」の制作に取り組んでいる。
 バンドはまたヨーロッパにもどり、数々のパフォーマンスにより観客動員数の記録を塗り替えるであろう。-------現役バリバリのディープ・パープルのニュース!うらやましい!今でもイギリスでのディープ・パープルのステイタスはかなり高いのです。ちなみに私事ながら、5年ほど前、ロンドンで楽器店の若い男の子に「レインボーの『On Stage』の時、客席にいた」と話したら握手を求められ、かなりリスペクトされました。こっちが驚いてしまいます。

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Don’t Squawk – it’s Budgie! (ギャーギャー騒ぐな-バッジ-だ!)

バッジー-ウェールズ出身の3ピース・ヘビィ・ロックバンド。その強力なライブパフォーマンスと2枚のアルバム(”Budgie”と”Squawk”)でここ1~2年、急激にファンを増やし、アルバムも25,000部を売り上げた。
5月18日に発表されたサード・アルバム“Never Turn Your Back on My Friend”は彼等の最高傑作との呼び声が高い。
 プロデュースは自分達で行い、収録された7曲のうち6曲がオリジナル。有名な南ウェールズのRockfield Studioでレコーディングされた。
 バンドの3人のメンバー、リードギターのトニー・バージ、レイ・フィリップス(ドラム)、ベースのバーク・シェリーは1968年に合流、今度のアルバムの素晴らしさは大学やクラブ・ギグ、そして既存の2枚のアルバムでの経験の結晶である。-------1968年結成のハードロック・バンド。ともすると元イエスのトニー・ケイがやっていたバッジャー(badger)と間違えちゃう!何といっても驚かされるのはバッジーは最近でも活動しているということ。ブリティッシュ・ロックはホントに奥が深いのだ!

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Jet Airlift for Barclay James Harvest Tour (バークレイ・ジェームス・ハーヴェストのツアー用ジェット機)
バークレイ・ジェームス・ハーヴェストは大学、クラブ、コンサート・サーキットで活躍する最高のバンドのうちのひとつであり、この度大規模なイギリス・ツアーを敢行している。

最近のヨーロッパツアーに続くこのツアーは10tに及ぶ機材と45人編成のオーケストラを擁して主要都市を巡るものでDC9ジェット機がチャーターされた。マーシャルを格納するために客席の半数が取り払われた。
 残された日程は、ロイヤル・フェスティバル・ホール、ロンドン(5月18日)、エンパイア、リバプール(19日)、フリー・トラド・ホール、マンチェスター(23日)、…(省略)…。
 4人のメンバー全員 - ウーリー・ウォルステンホーム(ボーカル、キーボード)、ジョン・リース(リード・ギター)、メル・プリッチャード(パーカッション)そしてレス・ホルロイド(ベース)-はバンドが結成されたオールドハム地方の出身。プロに転向したのは1967年のことだ。
 同じ年彼等はEMIと契約を交わし、ノーマン“ハリケーン”スミスのパーラフォン・レーベルによってレコーディングされた。
 EMIがアンダーグラウンド・シーンのための新しいレーベルを立ち上げ、そのレーベルに命名する際、バンドと同じ名前をつけるべくバークレイ・ジェームス・ハーヴェストとサインを交わした。
 BJHがブレイクすることがなかったのは彼らの才能のせいではない。1973年こそ彼等がスターダムにのし上がる年であることをたくさんの人々が認識している。------これも驚き!バークレイが飛行機をチャーターしてツアーしていたなんて!

2008年9月 9日 (火)

マーシャル祭りアイテム

「マーシャルのマーシャルによるマーシャル・ファンのためのイベント」。マーシャル好きのギタリストが集合し、過去3回開催されいずれも大好評を頂戴しました。以下はそれぞれの祭りのポスターやチケットです。

マーシャル祭り3  2005年12月7日 渋谷O-WEST

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<出演>大村孝佳、中野重夫、Syu、原田喧太、石原”Shara”慎一郎、アースシェイカー、甲斐貴之(b)、工藤義弘(ds) ――敬称略
※アースシェイカーのリズム隊と新旧ギタリストがタッグを組み、壮絶な演奏を繰り広げました。出演ギタリスト全員がそれぞれの出番でア・カペラのギター・ソロを演奏。ギター・ミュージックの楽しさを伝える白熱のイベントとなりました。

マーシャル祭り2    2001年10月19日 池袋サンシャイン劇場

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<出演>バンド・オブ・シゲオ・ロールオーバー、大高清美(org)、西山毅、小川銀次、矢堀孝一、ジェフ・ホワイトホーン(プロコル・ハルム)、橘高文彦、和田アキラ、櫻井哲夫(b)、菅沼孝三(ds)、王様(司会)――敬称略
※ 2001年の楽器フェアに合わせて開催されました。ジム・マーシャルも参加する予定でしたが、前月に起こった「同時多発テロ」の影響で急遽欠席となってしまいました。ジムの欠席を最高の演奏が補い、超満員の素晴らしいショウとなりました。チケットは使用前は3段積み、もぎった後は2段積みとなるデザインでした。

マーシャル祭り    2000年11月11日 新宿スペースゼロ

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<出演>バンド・オブ・シゲオ・ロールオーバー、手嶋いさむ、王様、ROLLY、佐藤満、日下部正則、矢堀孝一、ジェフ・ホワイトホーン(プロコル・ハルム)、世良公則、櫻井哲夫(b)、菅沼孝三(ds)、谷川史郎(司会)――敬称略
※ジム・マーシャルも参加した記念すべき第1回目。超大物ギタリストの飛び入りもあり大いに盛り上がりました。また、AVTシリーズの発表の場にもなりました。

…と毎回充実した「祭り」が開催できたのもマーシャル・ファンの皆様のおかげです。ご参加いただきありがとうございます。近い将来また「マーシャル祭り」でお会いできることを願ってやみません。

2008年9月 5日 (金)

古のマーシャル・カタログ~その1

マルチ・チャンネルって新しいテレビ?マスター・ボリュームってナニ?センド&リターンって漫才師の名前?…という頃のマーシャルお話し。

昔のマーシャルたるや、それはそれはシンプルなものでした。その頃のカタログの表紙がこれ。残念ながら制作年月の記載がなく特定をするのが困難ですが、1970年代中頃のものでしょう。

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A4見開きのたったの4ページ。まず、目を引くのがアンプの分類。LEAD(つまりギター)、BASSそしてPAですよ?!

ページを開くと…

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すべてのモデル名が「UNITなんじゃら」。左上のコピーもいかしてます。「外国のミュージシャンも愛用する」って…マーシャルはもともと外国から来たのに…。

とにかく、ギター用アンプヘッドが100W(今でいう1959)と50W(同1987)だけ!本当に昔はこうでしたね。何しろ、楽器屋さんに言ってもUNIT3あたりがウインドウのなかに入っていて、試奏はおろかマーシャルのにおいすら嗅ぐことができませんでした。でも、まさにこの頃のマーシャルがロック・ギターの歴史を育んでいたのです。

つづく

※資料提供:T氏

2008年9月 3日 (水)

珍盤?!ジム・マーシャルのCD

レス・ポール、レオ・フェンダー、そしてジム・マーシャル。このうちの誰かがひとり欠けても今のロック・ギターはあり得なかったであろうといわれています。

その一角であるジム・マーシャルは1923年(大正12年)の生まれで今年85歳。その波乱の人生やマーシャル・アンプ誕生の逸話は方々の書物やマーシャル・ロードショウで語られてきました。英産業輸出やチャリティ活動への大きな貢献を通じ、今やOBE(大英帝国勲章Order Of British Empire:サー・ポール・マッカートニーやエルトン・ジョン、ブライアン・メイ、デービッド・ベッカムなども受賞しています)をも叙勲した名士でもあります。

ジム・マーシャルはもともとジャズ・ドラマーであり、シンガーでした。1940年代、当時の貧弱なPAシステムの音質に満足せず、自分の歌声をより美しく拡声するために自作したスピーカー・キャビネットが事実上マーシャルの第1号と伝えられています。

さて、ジム・マーシャルの歌声とはコレいかに?実はこれがまたいいんです。「ロンドンのビング・クロスビー」と呼ばれたこともあるとか、ないとか…。そのヴェルベット・ボイスは実に味わい深いものなのです。

これまでも、パーティの席上で美声を披露してくれたことは珍しくありませんが、実はその歌いっぷりがCDになっているのです。そのジャケットがこれ。

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残念ながらマーシャル関係者だけに配布され、一般の方々には入手不可能な非売品ですが、『S'Wonderful』、『Everybody Loves Somebody』、『It's Been A Long Time』といったジムの愛唱歌であり、永遠の名曲がせつせつと歌われています。そして、バックを固めるミュージシャンの中にはサックス奏者である愛息のTerry Marshallの名前も見受けられます。(おなじみのJTMシリーズの"T"は"Terry"さんの"T"です)

内ジャケットはこんな感じ。これだけ見るとさぞかし、ハードな内容が想像されますが(何といっても巨大な1960の壁ですからね!)、全曲ジャズのスタンダードです。

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聴くにつけ思います。時代柄ジャンルは違えど、Marshallはあるミュージシャンの手によって生まれるべくして生まれた音楽の一手段であるということを…。

Dr. Jim Marshall OBE、いつまでもお元気で!