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2011年10月 5日 (水)

三宅庸介、マーシャルを語る <前編>

Yosuke Miyake talks about Marshall  <vol.1>

<はじめに>

マーシャル・ブログに多数回ご登場頂いている三宅庸介氏。その独特のスタイルと誰もがうらやむ魅力的なギター・サウンドで自己のユニット、Strange, Beautiful and Loudを率いて自らの音楽を奏でる姿は現在の音楽シーンでもズバ抜けて光り輝く存在であることは誰もが認めるところであろう。
今回は満を持して三宅庸介にマーシャル・トークに登場していただいた。
個人的な趣向もあって、ついマーシャルの話しよりも三宅さんの音楽的な部分に触れることが多くなってしまった。でも、どう転んでも、どう説明してもらってもあの三宅さんのトーンを真似することは不可能であろうから、いくらサウンドの秘密を解き明かしてもらっても無駄だと思ったのだ。そしてギターを方々にとっては、かえって音楽的なバックグラウンドや音楽に対する姿勢を語って頂いたほうが有効だとも思ったのだ。
稀代のスタイリストのトークを是非ご堪能あれ!

マーシャルとの出会い
マーシャル(以下M):マーシャルを意識し出したのはいつ頃、どんな感じでした?
三宅(以下Y):記憶にあるのは、最初に買ったミュージックライフ誌にジェフ・ベックの『There and Back』ツアーの来日公演のレポートが出ていたんです。(ハンブル・パイの)マリオットから安い値段で買ったかもらった54年のストラトを弾Miyake_img_0023 いていて、メンバーはサイモン・フィリップス、モ・フォスターとトニー・ハイマス(スティーヴ・マリオットの悲劇についてはコチラをご覧くだされ)。その時の写真がすごくカッコよくて…昔ってよく透明の下敷きにアイドルの写真なんかを入れたりしましたでしょ? ボクはそこにそのジェフ・ベックの写真を入れていたんです。そのジェフの後ろに「Marshall」の文字が写っていたんだと思います。ハッキリこの時に意識をし出したというのではありませんが、そんなことでマーシャルというものを気にし出したんだと思います。
後はマイケル・シェンカーが好きだったし、リッチーですよね。

三宅庸介とマーク・ノップラー
M:では、好きなギタリストというと…。
Y:最初はマーク・ノップラー。
M:エエッ?!
Y:ホントです。というのはラジオでよくかかっていたんですね。「サルタン」とか。リアルタイムに聴いたのは3枚目の『Making Movies』ですね。それとポリスなんかが好きでずーっと聴いていました。
M:メチャクチャ意外なんですけど…。
Y:だから、ギターとして最初に意識して聴いていたのはダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーなんです。
M:ギターが好きで?それとも曲?
Y:曲も好きだったし、ギターのトーンが好きでしたね。
M:でも歌は受け付けないんじゃないんですか?
Y:イヤイヤ、歌も好きでした。ポリスも好きで、一番最初に観に行ったコンサートがポリスでしたから…。81年ぐらいかな?ボクは最初ベーシストになりたかったんですよ。
M:スティングにあこがれて?
Miyake_img_0033 Y:そう。いまだに一番のアイドルはスティングなんです。
M:音楽家としてでしょ?
Y:そう。存在とか…。例えば自分でアルバムを作るときにスティングを連れてくるのは到底無理なので、彼のアルバムでちょっとでもギターが弾けたらいいナァと思いますね。

ブリティッシュ・ロック
Y:ボクはアメリカ系の音が全然ダメで、その後も聴いたものといえばシン・リジーであったりジューダス・プリーストであったり…ブリティッシュ・ハードばっかりでした。ヴァン・ヘイレンすらピンと来なかった。
M:私はヴァン・ヘイレンが出てきた時のことをよく覚えていて、初来日公演も行きました。あの頃ってツェッペリンもパープルもピンク・フロイドももうなくなっていて、ブリティッシュ・ライオンズとかストラップスとかエアロスミスの弟分のスターズとかイギリスのミスター・ビッグとか(実は大好き)…そんなのしかいなかった。リアルタイムのギター・ヒーローも不在だった。そこへあんなに弾ける人が出てきちゃったから上へ下への大騒ぎだったんです。
Y:なるほど。やっぱりマーシャルはそういうヒーローが使っているという視覚的なインパクトが強かったんです。
UFOの『フォース・イット』サウンドにかなり印象深いものがありましたね。やっぱりマイケル・シェンカー好きでしたから。

ストラトキャスター
M:ところで三宅さんは担当楽器のところにいつも「ストラトキャスター」と記されていますよね。いわば職業がストラト…。 シェンカーは違うにしても、それはやっぱりジェフ・ベックとかマーク・ノップラーとかの影響が強いんですかね?それともジミヘン?Miyake_img_0026_2
Y:ストラトは…(間)、ストラトは…ウリかナァ。マイケル・シェンカーのUFOとかシン・リジーとかブリティッシュ・ハードロック、もっと広く言えばブリティッシュ・ロックにハマって、プログレッシブ・ロックに傾いたり…でもギターものだとその頃からズーっとウルリッヒ・ロートですよね。
M:ウリがその時代の日本人ギタリストに与えた影響には計り知れないものがありますね。令文さん、中間さん、ノンちゃん(島紀史)、ルークさん、Syuちゃん…みんなウリ大好き。
Y:『Tokyo Tapes』はレコードもCDも何回買ったかわからないし、ジャケットも部屋に飾っていました。それも複数枚買って表と見開きの内側の両方を飾ったりしていました。それぐらい好きでした。
M:そんなに!

大谷令文
Y:ストラトっていうと、高校2年ぐらい、そこそこギターが弾けるようになった時に見たんですよ…令文さんを京都で。それより以前に先輩が録音してきたテープなんかで聴いてはいたんです。「これは外国人だ」って思いましたね。日本人でもこんなギターを弾ける人がいることに驚きました。こりゃ観に行かないといけない!って京都の磔磔に行ったんです。最前列でね、もう令文さんの足が目の前にある。当然真ん前はマーシャルですよ。もうギターの音しか聴こえない!それもボクが聴いてきた大好きなブリティッシュ・ロックのすごいギタリスト達が出している音と同じだったんです。令文さんが23~24歳の頃なのかな?日本人でこれが出来る人がいるんだったら、自分も本気でやってみようかな?って思いました。それぐらい令文さんにはインパクトを受けましたね。ホント、あの時の令文さんを見ていなかったらギタリストにはならなかったかも知れない。
M:へェ~。令文さんマーブロ読んでくだすっていますからね。きっとお喜びになりますよ。マリノの頃?
Y:マリノのデビューの直前ですかね。

ギターを始める
M:ところでギターを始めたのは?
Y:14~15歳ぐらいかな?でもあんまり弾いていなかったんです。本当にあの1983年11月13日のライブがなかったらこうはならなかった。
M:では、はじめてのアンプといえば?
Miyake_img_0038 Y:最初にギターを買った時に小さな10Wぐらいのコンボもいっしょに買って改造とかしたんですよ。
M:本当にお好きなんですねェ!
Y:ええ。父がそういう関係だったもので電気に強かったんです。で、最初にギターとワウワウ・ペダルとその小さいアンプを買ったんです。歪みペダルを使わないであの憧れの音を出そうとしていました。
M:ギターをはじめた頃って「あの音を出そう」なんて思ったりしませんよ!「音」に対する意識なんか普通ありませんよ。
Y:ボクの場合はそうでしたね。

はじめてのマーシャル
M:で、はじめてのマーシャルはいつ頃どうやって何を入手しましたか?
Y:19歳の時にバンドもやってなかったので、このままじゃいけないと思い「マーシャルを買おう」と決心したんです。マーシャルを買えばどっかのバンドに入れてもらえると読んだんです。とりあえずマーシャル持たないことには大人になれないな…みたいな。で、オールドのマーシャルが欲しくて、色々調べたら大阪にそういうお店があったんですよ。で、行ってみたら5台くらいオールドのマーシャルがありました。その時の店員さんが住友(俊洋)くんだったんです。
M:エエ~ッ!あの住友さん?
Y:はい。バイトでね。彼もティンカーベルっていうバンドをやっていてそこそこ有名でしたからね。後で調べてみたら令文さんをはじめ大阪のスゴ腕ギタリストはみんなそこへ行っていたようです。
で、住友くんに色々訊いたりして、その中で一番気に入ったのが1973年製の1959だったんです。今にして思うとまだハンドワイアードでね。
M:1974年ぐらいまではまだハンドワイアードがありましたからね。

テラ・ローザとマーシャル
Y:ハイ。それをスタックで買ったワケです。でも持って帰れないのでお金だけ払って少しの間取り置きしてもらうように頼んだのです。で、家に帰ったら電話がかかってきたんです。テラ・ローザのキーボードがさっきの先輩の紹介で電話をかけてきてくれたんです。「ギタリストを探しているのでオーディションを受けないか?」って。Miyake_img_0011
M:マーシャル買った日に電話がかかってきたんですか?!
Y:そうです。スゴイと思いませんか?
M:メッチャすごいですよ!マーシャルはお守り?
Y:ね!それで早速マーシャルの話をして、さっきの楽器屋さんで待ち合わせして、買ったマーシャルを車に積んでオーディション会場に持っていってもらったんです。だから、オーディションの時にはじめてその買ったマーシャルを本格的に弾いたというワケです。
M:へェ~。
Y:それでそのままバンドに入れてもらったので、結局そのマーシャルは家に持って帰らなかったんですね。
M:スゴイ話しですね~。
Y:マーシャルを取り入れた日にたちまちバンドに入ることができたワケです。しかもよく観に行っていた好きなバンドです。だから本当にマーシャルが守り神というかラッキー・アイテムというか…マーシャルが人まで連れて来てくれた…そういう感じなんです。

マーシャルを手放す
M:そのラッキー・マーシャルはその後どうなったんですか?
Y:手放してしまったんです。ホント後悔してる。そういう人たくさんいると思いますが…。
M:シャラさんもそんなことをおっしゃってた。その後は?
Y:ラック・システムに興味がありましてね。マイケル・ランドゥの影響を受けました。大分お金をかけて使っていたんですけど盗まれてしまいました!車に積み忘れちゃったんですよ!それでアンプがなくなって困った。それでまたマーシャルに戻ったんです。「これはマーシャルじゃないからこんな目に会うんだ!」って反省しました!
それでまた手に入れたのが78年製の1959。それをしばらく使っていました。

その後のマーシャル
M:それから?
Miyake_img_0053 Y:東京に出てくる時にサポートの話しとかもあって、洗練された音作りをする必要が出てきて、気になっていた6100を入手したんです。そしたらあのクランチがすごくよくて、今のマーシャルでもこんな音が出るのかって…。
M:6100の頃もあったんですか~。
Y:今でも手放さないで持っていますよ。好きで結構使いました。ゲイリー・ムーアも出た頃使ってましたもんね。
で、大分使いこんだところでDSLが出て来たんです。

M:なるほど…。

三宅庸介の詳しい情報はコチラ⇒Yosuke Miyake's "Strage, Beautiful &Loud"

<後編につづく>