森園勝敏、マーシャルを語る<前編>
Katsutoshi Morizono talks about Marshall <vol.1>
森園勝敏さんにはCounter Moon、Thlee of Us、四人囃子、とこれまで何度もマーシャル・ブログにご登場いただいており、それをマーブロでは誇りに思っている。
森園さんというと「日本のロックを作った」とか「日本を代表する」とか「大ベテランの」とかいう枕詞が付いて回るのが普通だ。もちろんそれらの表現が事実を曲げていることはまったくない。
しかし、幸運にもこうして森園さんとお付き合いをさせていただくとそういった仰々しい枕詞が不似合いのような気がするのだ。
では、実際の森園さんはどうか…?私の印象では完全に「ギターの人」。紛うことなき永遠のギターキッズだ。森さんは人生も存在も「ギター」だ。ギターが服を着て歩いているようなものだ。
そうでなければ「音楽の人」だ。私も大概「音楽バカ」だが森さんにはとてもかなわない。すさまじいまでの「音楽バカ」だ。何しろロックが成熟する一番おもしろい時代を生きて来たのだからかなうワケがない。
マーブロで多くの紙幅を占めている…イエ、勝手ながら占めさせていただいている私の知ったかぶりの音楽知識の源泉の多くは、すでに文字や映像から吸収したものであって、実体験として記憶が残っているのはせいぜい1976年ぐらいからの出来事だ。では、その当時森さんは何をしていたか…。世紀の名盤『ゴールデン・ピクニックス』を発表して、もう四人囃子を辞めるというタイミングなのだ。つまりまだまだ揺籃期にあった日本のロックの一角をチョチョチョとまとめちゃって、もう次のステップに歩みだした頃なのだ。それは日本のロックが英米のそれのエキスをモリモリと吸収して急成長していた時分で、森さんはまさにその激動の真っただ中にいた人なのだ。
私もいい加減プログレッシブ・ロックが好きでしてね。メジャーからカンタベリー(何しろ現地まで行っちゃったからね)、そして辺境まで結構聴いた。この辺りの分野においてはちょっとやそっとじゃ、
人後には落ちるつもりはない。で、言わせてもらうと四人囃子というと「日本のプログレッシブ・ロックの権化」のようなイメージになっているが、今聴いて聴くとそれほどでもないように思うのね。『一触即発』に関してはピンク・フロイドの香りが強く、そう騒がれたのも無理もないような気もするが、海外のプログレとはかなり違う響きが私には感じられるのだ。
どこかのインタビューで佐久間(正英)さんが、「四人囃子は歌のバンドだった」とおっしゃっていたのを読んだことがあるが、「日本のプログレの元祖」みたいな表現よりも、むしろそっちの方が当たっているような気がする。
現に名曲「一触即発」のリフはオールマンの「Wipping Post」からインスピレーションを受けたということだし、殺人的名作「Lady Violetta」のどこにプログレの要素があろうか?結果的に四人囃子の作った音楽がどのジャンルにどのようにくくられようがどうでもいいし、それが最高であることには何の疑いもないんだけどね…。
何が言いたいのかというと四人囃子の中心的存在だった森さんはブルース・マンなんですよ。根っこはブルース。森さんのブルースを聴いてごらん。そこには無限の「歌」がある…。
さらに森さんはマーシャルを弾き抜いて来た人ではない。したがって、今回のインタビューの中に出てくるマーシャルの話しは、とっかえひっかえ買い替えて来たマーシャル・マニアのストーリーではない。むしろロックの成長を間近で見続けて来たアーティストの記憶を借りた「マーシャル日本史」のようなものだ。これこそが私が森さんに聴きたかったポイントであり、ギタリスト・森園勝敏のルーツと併せて掘り下げてみたかった内容なのである。
ちょっと意気込みすぎて前置きが長くなっちゃった。
はじめて見たマーシャル
マーシャル(以下M):四人囃子の『一触即発』が1974年、森園さんが20歳の時ですよね?
森園勝敏(以下K):はい。で、『二十歳の原点』が19歳の時ですね。
M:この頃の日本でもマーシャルの状況ってどんなでした?
K:銀座のヤマハではじめて見まして、ウォ~、デカイなぁ~って思いましたね。これがいつも写真で見てるマーシャルかァって。当時で60万円とか70万円とか…。眺めただけです。
M:写真とは誰の写真?
K:僕がはじめて見たのはね、プロコル・ハルムに「これが真実だ(Quite Rightly So:セカンド・アルバム『Shine on Brightly』収録)」というシングル盤があったんですけど、そのジャケットでロビン・トロワーの後ろにおいてあったのがマーシャルだった。
それとクリームですよね。
意識したのはいつからかな…ハッキリ覚えていないけど、それまでF社のアンプしかなかった。見慣れたアンプの形というと、もうF社のスタイルなワケ。日本製のアンプは結構独自のデザインが多いんですけど、それでも似ているものが多くて、ギター・アンプというものはああいうモノだって思ってましたよね。
M:そこへマーシャルが現れて…
K:一体コレはなんだろう?!って。レコードで音を聴いてビックリして、形を見てもっとビックリした
M:「これがあの音を出すアンプなのか~」って?
K:ま、形か音かどっちが先かは忘れちゃったけど、少なくとも今までFで聴いていたサウンドではまったくなかった。いわゆるニュー・ロックとかアート・ロックとか云われはじめた時代ですよね。
クリームとかヘンドリックスのサウンドっていうのがそれまで聴いていたのと全然違っていてね、それと同時にマーシャルの形も目に入ってきたから、この音はこのアンプだからかナァ?みたいなね。
M:森園さんはジミヘンの『Are You Experienced?』の出現に立ち会っているんですよね?あ
れは1967年?
K:僕が中学3年の時だった。輸入盤しかまだなかった。それまで聴いていたギターの音がすべてチャチに聴こえましたね。これはどういうことなんだッ?って結構ショックでしたよ。
M:「ザ・サンニン」の頃?
K:イヤ、まだ。先輩と「グループ・サウンズ」っていうバンドをやっていました。ベンチャーズが終わって、ビートルズからアンディ・ウィリアムズ、PPM、セルジオ・メンデス…何でも聴いていましたね。
中学2年の時にビートルズのホワイト・アルバムが出て…あの頃から世の中が変わってきた感じがしますね。それと同時にマーシャルが現れた感じがしたな。
M:やっぱりその頃のマーシャルの代表選手はジミ・ヘンドリックスとクリームですか?
K:そうね。クリームは『Disraeli Gears(カラフル・クリーム:自転車を買おうと考えていたクラプトンがジンジャー・ベイカーとローディに相談したところ、そのローディがふざけて「Disraeli Gear」といった。そのローディは「変速機(derailleur gear)」と引っ掛けたつもりだった、「Disraeli」とは19世紀のイギリスの総理大臣、Benjamin Disraeli(ベンジャミン・ディスレイリ)のこと。何がおもしろいんだか…で、それをおもしろがってこのクリームのセカンド・アルバムのタイトルにしちゃったというワケ。もし、このローディがふざけなかったら『カラフル・クリーム』はただの『Cream』というタイトルになるところだったらしい)』の頃ね。とにかくこんなアンプは他にはなかったよね。
そういえば、オーティス・レディングが生きていた頃のブッカーT&MG’sって、アメリカのバンドにもかかわらずマーシャルを使っていたんですよね。
M:マーシャルを一番最初にアメリカに持っていったのはロイ・オービソンなんですって。
K:へぇ~。スティーヴ・クロッパーもドナルド“ダック”ダンもマーシャルだったんだよね。
はじめて弾いたマーシャル
M:というワケで銀座でマーシャルを発見されて、その後は?
K:音を出したのはもう随分後ですよね。僕ら四人囃子がフラワー・トラヴェリン・バンドの前座をやることになってね、石間(秀機)さんがマーシャルを使っていてそれを弾かせてもらったんです。ゴールド・トップのレス・ポールを使ってて、僕らのリハが終わってフラワーの番になる時に「ちょっとストラト貸してくんない?」なんて言われてサ(笑)。それでツアーの途中なのにストラトに変わっちゃったんだよね。あの時が初めてのマーシャルだったな。イヤ、それがいい音でね~。
M:その当時、日本のバンドでマーシャルを使っていたバンドってあったんですか?
K:クリエイションなんか使っていたね。後、国産のマーシャルの真似っこアンプって結構あったよね。
あ、初めてマーシャルを弾いたのは新宿の御苑スタジオにあった18Wのコンボだ。
M:1974ですね?
K:ウン、でもあれじゃやっぱりパワーが足りなくてね、バンドで使うと…。音はものすごくよかったのを覚えています。
だからやっぱりマーシャルは高嶺の花でしたよね。
M:やっぱり思っていたより歪まないというイメージ?
K:僕もそう思った。それとチャンネルであんなに音が違っちゃうなんて知らなかった(4 Inputモデルのこと)。とにかく歪まなかった。エ~?!、こんな感じなんだ?と思った。ボリューム・ノブがすごく小さいのが印象的だった。「ぽらりてぃ」ってなんだろうナァ~とかね。
四人囃子の活躍
M:「ワンステップ・フェスティバル」とか「ワールド・ロック・フェスティバル」とか…しかし、四人囃子って色々な記録を調べると途轍もないほどの場数をこなしていらっしゃいますよね!箱根の「アフロディーテ」も?
K:イヤ、アフロディーテはやってません。
M:それでも出てない有名なコンサートはない?
K:それほどでもないですよ。大きいフェスティバルには結構出させてもらいましたけど、でも仕事といえば、秋の学祭ぐらい?だってライブハウスなんてほとんどなかったからね。後はアマチュアの人たちがやっているサークルのコンサートに呼ばれるとか、杉並公会堂とかホールばっかりですよね。
(内田)裕也さんのコンサートにはよく出してもらいましたね。
M:四人囃子が裕也さんのお気に入りだった?
K:なんでしょうね?ま、いうことをきくバンドだから…(笑)。
M:そうか、そのつながりでフランク・ザッパの前座をされた?
K:そうですよ。まあ、だいたい僕らとクリエイションとハルヲフォンと…その3つはどこへ行くのもセットだったですね。
M:クリエイションもすごいキャリアですよね。
K:そう。でも、フラワー・トラヴェリン・バンドはそう簡単に出てこないんだナァ。ジョー(山中さん)は出るんだけど、バンド自体は半ば外タレ扱いでしたね。
M:そうだったんだ~。
K:だからフラワー・トラヴェリン・バンドが日本に帰って来て東京体育館で凱旋コンサートをやったことがあったんです。で、裕也さんに「ちょっと東京体育館まで来てくれる」って言われて「やった、観させてくれるんだ!」って思って四人囃子のメンバー全員行ったワケですよ。行ったらサ、「ちょっと悪いけど警備やってくれって!」
(大爆笑)
K:でもそれやったおかげでツアーの前座は全部やらせてもらったんです。
マーシャルの魅力
M:なんか印象に残っているマーシャルってあります?
K:ワリと最近の話なんですが、北千住にあったライブハウスにあったマーシャルはものすごくよかった。普段は誰にも触らせないんですけどね。僕らがジミ・ヘンドリックスのトリビュートをやる時に貸してもらってたんだけどあれは本当にスゴかった。いい音のマーシャルっていうのはケタ違いに音がいい。
M:マーシャルの好きな音って?歪みではなかったりするでしょ?
K:クリーンがいいよね。ヘンドリックスもよく聞くとすごくクリーンだもんね。で、ストラトとマーシャルっていうのは独特のいいマッチングなんですよね。特に巻き弦の音が素晴らしい。張りたての弦の音っていうか…。ギターのボディに耳をつけて聴いた音っていうかね。あの音が他のアンプじゃなかなか出ないんです。
M:その辺りのサウンドを確立したのがやっぱりジミ・ヘンドリックスということになってくるんですかね?
K:ン~、とにかくいい音ですよね。クリーンも。
ポール・コゾフの音もそうなんですけど、「歪んでる」ってとこまで行かないんですよね。すごくナマの感じ。ブシュッて潰れていなくてちゃんとゴツン!っていってる。それでいてサスティンがすごい。
マーシャルはやっぱりワン・アンド・オンリーだな~。
M:ま、これとて初めはコピーですからね。
K:そうね、そこにベースマンが絡んでいるところがおもしろい。
好きなギタリスト
M:ところで、森園さんって一番好きなギタリストってジミ・ヘンドリックスなんですか?
K:ヘンドリックスがいなかったら今こうしてここにいないでしょうね。(ギターを始める)キッカケはノーキー・エドワーズです。もちろん好きなギタリストはいっぱいいますけど、ヘンドリックス、ブルースブレイカーズの頃のエリック・クラプトンがすごく好き。
森園勝敏とマーシャル
M:また同じような話しになりますが、こうしてお話しをうかがっていると四人囃子も森園勝敏もそうドップリとマーシャルだったワケでなないんですよね。
K:そうですね。
M:すると、当時マーシャルをバンバン使ってたバンドというと?
K:クリエーションでしょう。3スタック並べていましたからね。
M:ものすごい投資になりますよね、当時だと。猫も杓子もマーシャルっていう時代ってあったんですか、当時?
K:そうだよね。あれロンドンで買って来たのかな?彼らロンドンへ行く前はマウンテンみたいな音楽を演っていたんだけど帰ってきたら完全にハンブル・パイになってたっけ。歌なんかもう完全にスティーヴ・マリオットになってた。
みんなマーシャルっていうことはあの当時確かなかったですよ。
M:するとやっぱりディープ・パープルだのレッド・ツェッペリンだのが完全に行き渡ってからマーシャルが広まったって感じですか?
K:そうだね。気がつくともうみんなマーシャルになってたっていう気がする。
<後編>につづく
