ロンドン・ロック名所めぐり vol.13~不吉な話題
今日は不吉に…。この建物はハイド・パークから通りをひとつ隔てたそのすぐ裏手、メイフェア地区の端っこにたたずむフラット。この建物かつてはハリー・二ルソン(アメリカ人)が所有していたもの。リンゴ・スター他が経営する会社が建物を設計したらしい。ハリー・二ルソン(=二ルソン)はバッド・フィンガーの「Without You」をヒットさせた人。マライア・キャリーも唄っていましたね。でも、私にとっては二ルソンといえば何といっても「Everybody's Talkin'」。映画『真夜中のカウボーイ』の主題歌のアレです。…て、ともするとまた話題が『真夜中のカウボーイ』へ行ってしまうのを今日はグッとこらえて次へ進む。
二ルソンが所有していたというだけでは足を棒にしてまでわざわざ出向いたりしません。ここは、1974年にママス&パパスのキャス・エリオットが、そして、1978年にはザ・フーのキース・ムーンが亡くなったフラットなのです。しかも、同じ部屋で…!
二ルソンは友人の相次ぐ死に心を傷み、このフラットをピート・タウンゼンドに売却したそうです。知らなきゃ通り過ぎてしまうところですが、知ってこうして建物を眺めてみると何やら不気味な雰囲気が出ているような気になるから不思議ですな。住民は知っているのかな?
ハイド・パーク沿いに西へ向かう途中で見つけたビル。ロックとは何の関わりもござんせんが、ブルーのプラークがふたつ壁面に付いています。
ひとつはコレ。アメリカの有名な銀行家、ジョン・ピアポント・モルガンが住んでいたフラット。現在の「モルガン・スタンレー・~」のモルガンです。なぜ「銀行家の元住居」などという場違いなポイントが登場したかといいますと、このJPM(オ、JMPに似てる!JMPはJim Marshall productsの頭文字です)にはちょっとした思い出がありましてね。
初めてニューヨークに行った時、自分も日本人であることをタナに上げてマンハッタンのどこへ行っても日本人がいることに驚いたワケですが(もちろん観光地に限っての話し)、まったくそれらしき人を見かけなかった場所がふたつあったのです。ひとつはブルックリン橋の上、そしてもうひとつはアッパーイーストにある「ピアポント・モルガン・ライブラリー」だったのです。これは元のモルガン氏の住居が図書館になっており、建物と蔵書の美しさに驚きました。NYCの隠れたおススメ観光スポットです。
実はもう1か所あるにはあったのですが…。それは、イーストビレッジにある(あった?)「Fez」というジャズ・クラブ。ここは毎週木曜日になるとミンガス・ビッグバンドが出ていて、それが見たくてひとりで出かけて行きました。地下の密室のようなクラブで、日本人らしき人はひとりもいない…。あれほど、「どこへ行っても日本人ばかり」と辟易していたのにイザこうなると恐ろしく不安になるから情けない!と思っていたら、ちゃ~んとふたり連れのネクタイをしめた日本人のおじさんが入ってきましたわ。おじさん、接待してた。
あの時のバンドのメンバーがまたスゴかった…ランディ・ブレッカー、スティーヴ・スレイグル、ジョン・スタブルフィールド、ロニー・キューバー、ケニー・ドリューJr.、ジーン・ジャクソン等々。素晴らしい演奏でした。
そして、右隣はジョン・フィッツジェラルド・ケネディ。つまりJFK。時代は違えど、ふたりここに住んでたんだネェ~。タメになるネェ~。
今日は不吉な話題で始まったので最後も不吉なもので〆ます。これ、ビクトリア駅で見かけたポスター。「年間に○○人の人が鉄道の電気事故で命を落としています…注意してね」というような内容なのですが、デザインが秀逸。枕木が棺桶になっているのです。
むりやりマーシャル・ブログに結び付けるのであれば…今の筆記体のMarshallロゴ(Script Logo)が採用される前はブロック体で表記していました。その字体は棺桶に付される文字に酷似していたため、コフィン・ロゴ(Coffin=棺桶)と呼ばれていました。また、60年代、スピーカー・キャビネットの需要が爆発的に増進し、製造が追いつかなくなった時、マーシャルは実際に棺桶メーカーに製造を手伝ってもらっていたことがあるそうです。
つづく







