ジミ・ヘンドリックスのサウンドを追及するバンド・オブ・シゲオ・ロールオーバーの中枢、中野重夫。実はそのキャリアは長く、野獣でデビューして以来30年が経過している。そして、その30年のキャリアはマーシャルと歩んだキャリアでもあるのだ。その想いをタップリと語ってもらった。
中野重夫のプロフィール
YMT(以下Y):中野さんの場合はキャリアが非常に長いのでまずはプロフィールからお聞かせ願えますか?野獣(のけもの)のあたりから。
中野重夫(以下N):1978年、ヤマハ主催のMid Landというコンテストの東海大会でグランプリをとって…その前に、ジューダス・プリーストの前座をしてね、どいうわけか。
Y:野獣で?
N:そう、名古屋公演だけ。名古屋市公会堂で。そのころは結構人気が出てきているころで、ジューダスのファンのお客さんがかなりこっちに注目してくれたね。そのノリでさっきのコンテストに出たもんだから、出番の時にはものすごく盛り上がって、問答無用でグランプリをもろたな。
Y:ジューダスの後がMid Landだったんだ?
N:確かそう。それで東京のEAST WESTに出たんやね。前の年の1977年にサザンオールスターズが出ていて、78年にはゲストで来てた。それで野獣とサザンが同じ楽屋だったんや。あの頃はウシャコダもおったし、カシオペアやシャネルズとか同期っぽくデビューしたんやね。レコード会社と契約して、ある人のすすめで自分たちのプロダクションを作った。それで一口坂スタジオでレコーディングしたわけや。ツイン・リード、ベース、ドラム、ボーカルという編成。このボーカルは三重のほうで今でもいっしょにAce & Rollaってアコースティックのバンドをやってるんや。そいつは「君こそスターだ!」で全国2位まで上がっていって芸能界からもずいぶんと誘いがあったらしんやけど野獣を選びよったんや。そっち行っとけばよかったのに…。
野獣解散!
Y:それで野獣は?
N:ま、色々やったけどレコードがあんまり売れへんかったんや…7,000枚位かな?これでも当時は結構な枚数なんやけどな。驚くのは今でも第一線で活躍している人たち、たとえばバーニー(日下部正則氏)とか西山毅さんとかが「昔コピーしましたよ!」なんて言われるんよ。結局、1年で解散してしもたんや。
Y:たった1年?
N:そう。もったいなかったな。当時は今と違ってインディーズなんてものはなかったかからな。レコードを出すなんて夢のまた夢や。
Y:ライブハウスす出ることができればかなりのもんでしたもんね?
N:我々の場合にはバンドに勢いがあった。若かったからな。でも、世の中が変わっていってしもた。ハードロックが下火になりよったんや。ディープ・パープルもユーライア・ヒープもなくなってしもて。
Y:一気にお休みになっちゃいましたもんね。
N:あの頃は、ウエスト・コーストやカシオペアのようなフュージョンが盛んでな、ハードロックをやっていると本当に「除け者(のけもの)」になてしまう雰囲気やった(ウマイ!)
Y:エ?それで「野獣(のけもの)」って名前なの?
N:ちゃうちゃう!ただオレ、名前付けるの好きでな…ちなみに三重県のMAXA(マクサ)というライブハウスもオレがつけたんや。
Y:あ、あれってそうなんですか?
N:そう。「五色の天草(あまくさ)」か「あ」を取っただけなんやけどな…。冗談で言ったらホンマにつけよった!
Y:それから野獣はどうなったんですか?
N:ま、みんなやりたいことがあってバラバラになってった。ジャズへ行ったやつもおったし、もう満足いうて音楽やめたのもいた。それでも野獣は案外女性ファンが多くてな、ファンクラブとかその会報なんてのもあった。やってる音楽はハードロックやったけど、ま、アイドル路線や。それで、みんな芸名がついとったんや。オレは「ローラ」。カローラに乗っとったから。ボーカルが「エース」。ハイエースやな。ベースはチェリーだった。みんなで化粧したりしてな。
Y:それで?
N:レコーディングの時にギターの音がうまく録れやんでな。あのころ、ヴァン・ヘイレンが出てきてて、てっきりあの音で録音できると思とったんや。ところが、低音が出すぎてうまくいかない。で、低音をすべてカットしたらスカスカの音になってしもて。マスタリングも大失敗や。それで結構メンバーが意気消沈した部分もあったな。
バンド遍歴、そしてロールオーバー
Y:その後、中野ブラザーズ?
N:そう。弟とバンドを始めた。弟はウエスト・コーストっぽいきれいなサウンドが好みでオレと全然志向が違っとったんやけど、彼のボーカルを聞いて一緒にやりたいなと思ったんや。
Y:中野ブラザーズはレコードを出したりしなかったんですか?
N:うん。LMCというコンテストの全国大会でグランプリをとって、副賞でアメリカへ行かせてもらって…それで終わった。
Y:それでいよいよロールオーバー?
N:いや、その前にひとつダイナゴンというバンドをやったんよ。ダイナミック・ゴンザレスいうてな。これもオレがつけた名前なんやけど。
Y:どんなバンド?
N:ハードロックでインストや。セクションみたいな。
Y:セクションはハードロックじゃないけど…。
N:いや、そんなんも詰め込んで凝縮した感じや。ドラムがハーフでさ、もう最高にいいギターを弾かせてくれるビートを出すんやね。でもバンド自体がまとまらんでな。メンバーみんながうまいし、若いもんだから「オレが、オレが」で「和」がうまれないんや。結局1年でやめてしもた。音楽ってテクニックだけでつながるもんじゃないとつくづく勉強になったね。音楽は気の合う者同士でやるもんやと…それでロールオーバーは20年つづいとる。その間、音楽やから音中心にバンドはやっていくもんやから、音に集中できなければやめた方がいいとか、3~4年のブランクがあったりとか、そうかと思うと「追悼ライブ」で毎年演らせてもろたりとか、SUPER100JHとの出会いでヤル気が出たり波が色々来るワケや。
マーシャルとの出会い
Y:いつも皆さんにお聞きしているんですが、最初のマーシャル体験は?いつ、どうやって?
N:まずね、18か19歳の時、名古屋に出て行った時、雑誌でしか見たことのないマーシャルを実際に使っている外タレを見たんや。ユーライア・ヒープとかスージー・クアトロとかステイタス・クォーとかね。
Y:ステイタス・クォーというバンドは日本ではあまりなじみがありませんが、イギリスではそれこそステイタスがメチャクチャ高い国民的なバンドなんですよね。
N:よかったよ、ライブは。それからシン・リジーも見たな。み~んなマーシャルや。結局そういうライブの音が気持ちよかったもんやから自然とマーシャルで決まりになるワケや。いつかはマーシャル使ったろと思った。
Y:そして、最初に買ったのが…?
N:野獣の時や。デビュー前、ジューダスの後くらいや。「もうこの勢いならマーシャルが絶対必要や」と思って買うたんや。100Wの2段積み。それで、ギターと一緒に盗まれた。ローンも払い終わってないのに!
Y:それで、また買い直したんですか?
N:いや、レコード会社と契約も終わっていて、レコード会社のスタッフが50Wのマーシャルを借りてくれたんや。
50Wに転向
Y:今度は50W?
N:あのな、実は100Wが爆音すぎてコントロールできやんかったんや。まず、自分の下手さが前面にドーンと出よる。ミュートが甘いとか、コードがきれいに鳴ってないとか。恥ずかしいところ丸出しや。で、結構打ちひしがれてな。でも、あのザクッとした音は耳の向こうに届く感じがした。
Y:みなさんの世代のマーシャルに関する話となると必ずこうなりますね。
N:こんな話が出るのはマーシャルだけやろ?で、色々な情報も入ってきておったんで、100Wよりは扱いやすそうな50Wを借りたんや。弾きやすかった。
Y:それも2段積み?
N:イヤ、3段やった。ルックスはゴキゲンやし、見上げてコントロールをいじるのが夢やったんでうれしかったな。
ジミ・ヘンドリックス
Y:どこからどうしてジミ・ヘンドリックスのトリビュートになったんですか?
N:もともとリッチー・ブラックモアが大好きだったんやけど、大学のクラブの先輩に「リッチーが好きならこれ聴いてみろ」ってワイト島のライブを渡されて聴いたんや。まず、一番最初からあの「間」にマイッタ。音質も。今聴くとあんまりいい音ではないんやけどな。もちろん名前は知っとったけど、実際に聴いてみると先入観とエラく食い違ってて驚いた。「リッチーのもっとスゴイの」という感じや。それからもう大好きになって聴きまくった。
Y:でも、野獣やダイナゴンでやってきたのはオリジナルでしょ?実際にヘンドリックスを演ることになったキッカケは何かあったんですか?
N:野獣のころでも何曲か遊びで演ったことはあっても、どこか「これは演ってはいけないもんだ」という気持ちがあってな…深みが全然違うから。すんごいブルースの演奏ってさ、音は取れてもああいう風に絶対ならへんのや。あれと同じ感じやね。でも好きでさ。例の中野ブラザーズのコンテストの副賞でアメリカに行った時、シアトルのジミのお墓へ行って「あなたの曲を演らせてください!!」って頼んだんや。
Y:お願いしたんだ?
N:ま、答えはなかったけど、自分に許しを与えたというか…あきらめやね。
Y:あきらめって?
N:このまま、ジミ・ヘンドリックスの曲を演奏できないと思っていたら一生できないと思ってサ。お墓にいったのがそのあいきらめキッカケになったんやね。
Y:ロールオーバーの初ライブは?
N:さっきの三重のMAXA。その時は演出でお棺の中から登場したんや。
Y:ジミ・ヘンと関係ないじゃん?
N:渋谷のEgg Manも演ったな。
マーシャルのセッティング
Y:マーシャルのセッティングについて聞かせてください。
N:基本的にはいらない部分をドンドン削っていくやり方やね、以前使っていたリイシューのビンテージはハイがきつくてな、まず、プレゼンスを下げて、トレブルも下げていく、それでもハイがきつい場合にはミドルを下げていく。そうするとミドルのおいしいところも減ってしまうんやけどハイは落ちる。ボリュームはもう3位で全開みたいな感じになる。4以上にするとクランチになってベースも出てくる。だんだんブーミーになるからボリュームを下げる。それで気がついたんや。マーシャルのボリュームはベースのコントロールも兼ねてるんだって。でも、最近ライブハウスで「ギターの音を下げて」といわれなくなった。以前はどこへ行っても「小さくしろ」っていわれて結構フラストレーションになっとったんやけど。そういえば、ジューダスの前座をやったとき「ギターの音を大きくして!」いわれた。あんなん初めてやったんやけど、その時はマーシャルじゃなかった!
Y:よろこんでいいのか悪いのか?
N:ロールオーバーはジミ・ヘンを演っているので音が大きくて当たり前という先入観があるからか、あまり最近は音の大きさを言われなくなった。でも、あれは単に音の大きさだけじゃなくて、トーンが問題なんやと思う。おいしいところがどれだけ出ているかということ。無闇に音を小さくするということは、おいしいところも削ってしまうことにもなるわけだから注意せなアカン。特にマーシャルはそう。ボリュームはマスター・トーンでもあるワケ。だから、音量を変えるということはトーンを変えるということを意味するワケや。
Y:すると、演奏会場が相当大きな意味を持ってきますね。
N:そう。キャパが小さいところでは本当のトーンが出せやんからね。トーンを追求しているものにはちょっと辛いものがあるな。
SUPER100JH
Y:そこへ行くと今のSUPER100JHはまったく勝手が違う?
N:そう。音を作るのに1年かかったけど最高や。
Y:以前はあれほどハイを削っていたのに今はベースが0、トレブル上げ気味ですもんね?
N:トレブルは7くらい。ミドルはその日によっていじってる。以前とは正反対や。
あこがれの音
Y:それでは出してみたいあの音、この音。何かあこがれのマーシャル・サウンドってありますか?
N:「バンド・オブ・ジプシーズ」の「マシンガン」。
Y:好きだね~!
N:ギターの音色が好きでな。たぶんユニヴァイブとの相性がええんやろけど…あれを聴いてもうひとつジミ・ヘンにハマったんや。もともとスゴイ思とったけど、スタジオ録音のアルバムは何か軽いとか思ってた。ライブはどれを聴いても最高やのにな。でも、そんな感覚をすべて吹き飛ばしてくれたんが「マシンガン」だったんや。「ハイウェイ・スター」なんかを聴いていたのに、あんなE一発でドロドロ演っているような曲にある時一気にのめりこんでしもたんや。
Y:そんなに好き?
N:あの「バンド・オブ・ジプシーズ」の「マシンガン」は3分何秒目にすごいチョーキングがあってな…(考えて)…あれは今でもできない!1弦の17フレットを全音チョーキングした時にビート通りにユニヴァイブのワンワンいうウネリがかぶるんや。それがフィードバックして…完璧なコントロールや。
Y:コントロールしてんのかな?
N:イヤ、奇跡かもわからんな!あの音出したい!!
Y:ジミ・ヘンの他には?
N:ウ~ン、一番好きなトーンはクリーンなトーンで逆アングルにして弾いたピッキング・ハーモ
ニクスの音やな。ジミ・ヘンの「レッド・ハウス」や。(写真はピザで逆アングル・ピッキングを説明する中野氏)
マーシャルの風
Y:何か若いプレイヤーにひとことお願いします。
N:一度、マーシャルの前に立って弾いて、その風を体験して欲しい。それをどう思うか…。「スゴイ!」という人もいれば「アカン!」という人もおるやろ。でも、ギターが好きと言ってる人はとにかく1回あれを経験すべきや。プラグ・インしてみるべきや。そして、「コレや!」と思った人に知ってもらいたいのは、マーシャルだけがそういう体験をさせてくれるということや
。
(2007年9月22日 東京にてインタビュー)